「この仕事向いてない・・・・」そう呟くあなたへ

「この仕事向いてないわー」
そう呟きまくるあなたへ。

実際にやってみて
そのお仕事、「向いてない」って 今 感じているんですね。

「向いてない。」

向いていない、ならば そのまま辞めますか?

・・・・・・

大切なのは
向いていない、と 感じた。

そう感じたならば、次どうするか。

向いてない、だから、〇〇する。
向いてない。けど、〇〇する。

かならず、その続きがあるはずだ。

◆今まさに「向いてない」事をやっているわたし。

実は今のわたしの出没先は とある旅館の仲居さん。

実はね。
初めから 自分で「向いてない」ってわかっている。

(段取り・采配とか、計算とか、時間配分とか、気配りとか苦手。
そして飲食スタッフ系も避けてきた)

なので、今 この歳になっても日々怒られまくっています。
自分でもびっくりするくらい やらかしてます。
(´・ω・`)

それまでは ここ最近は
「色々面白そう・楽しそう・向いてそう」な内容を拾ってきた。
なので どれもやっていて面白かったわけで。
体力的に大変とかはあっても しんどい・つらいは最近は経験してなかったな。

まあ、それを選んだ理由は「流れ」としか言えない。
これまでなら 自分で絶対選ばない職種。
いや、むしろ避けて通る道。

そう思えば 以前選んだ看護師もまた「流れ」だった。

そう。実は看護師は「なりたくてなったわけではない」。
どう考えても向いてないし、わくわくもしない。できたらやりたくない。

だけどね、それもまた「自分で選んだ」って、
後になってようやく気付いたんだけどね。

ま、そんなこんななわたしが最初に辞めずに続いたのは
初めから向いてない、大変そう、って思っていたせいか、
どれだけ自分がイケてなくても
「そんなもん」「やるしかない」
があったから ある意味続けてこれたんだよね。
自分がイケてない、向いてない。
でも、やるしかないなら、次どうするか。

わたしの初めの頃を知る人は
わたしがどれだけイケてない仕事っぷりだったか 覚えているだろう。
わたしの初めを知らない人は まさかそこまで、とは想像していないだろう。

それくらい、かなり要領が悪く、イケてない新人生活だった。

なので今も 日々イケてないと思いながらも
今できる事をやるしかないのであります。

◆「向いてない」とつぶやくあなたへ

「わたし この仕事向いてないの」
そう同じ事をつぶやきまくるあなた。

ちょっとだけお伝えしておくと。

その言葉の先の続きは何だろうか?
「向いてない」
けれど 続けていきたい?

それならば。
どうすれば うまくいくのか 素直にアドバイスをもらおう。

「もう辞めたい」

辞める、と辞めたい。
その言葉の意味、全く違うよね。

その「辞めたい」の言葉の奥には、どんな気持ちが隠れていますか?

・・・・・

自分の辛い気持ちをため込んだり なかった事にすると
人は歪んでいく。
辛い気持ちも怒りも、外に出したり 人と共有すると 楽になるよね。

ただね。
それは やみくもに「まき散らす」ものではない。

いわゆる「愚痴・泣き言・怒り」なんぞは 聴く人のエネルギーも消耗する。
「そんな事ないですよー」と励ますのだって 時には面倒である。

そうでないとね。
たとえばさ、
共感してい・ただ聴いてほしいだけの愚痴。
時に余計に自分がダメージくらう時って ない?

それに対するアドバイスをくれる人、
うんうん、と静かに共感してくれる人、
そんな愚痴ばっかりこぼすなと叱咤する人、
自分を上回る失敗談を出してくる人、
あなたは大丈夫、と認めてくれる人、
スルーする人、
などなど

自分が言葉を発した後、周りの反応はどうだろう?
それもきっと様々だろう。

あたなが伝えたい意図、求めている答えはひそかにあるだろう。

ただ、それを「受け取る」側も、また人であり、反応もそれぞれなのだ。

人の傷に寄り添いたい人、
人の愚痴を聴く余裕のない人、
人の間違いを正したくなる人、
などなど
これまた 人によっても、同じ人でも その人のコンディションによっても
変わってくるものなのだ。

だからこそ。
あまり 素直でない表現をしてしまうとね。
本当に伝えたい意図も伝わらないし、
お互いに心地よくない方向に行く事がある。
下手すれば あたな自身の評価を下げる事にもなりかねない。

自分の気持ち・感情を出すにも
その出し方、出す相手、時と場所、そういうところは 自分で選んでいこう。

◆人の愚痴をよく聞いて「あげる」あなたへ

人から相談を受けやすい人、愚痴をこぼされるタイプの方へ。

自分がやりたくて やっているなら 何も問題はない。

ただ、それが「あー・・・しんどい」
そう感じている方へ ちょっぴりお伝えしておこう。

もし。
わたしが聞いてあげなくては!
と「頑張って」いたり、
ここでスルーするのは申し訳ない、
と「罪悪感」を感じていたりするならば。

その人の顔を見ると「ああ、また話を聴かなくては・・・」
と心の奥底で うんざりしたり ゾッとする感覚があるならば。

ええ。
逃げてください。

大丈夫。

逃げてください。

というか、
「自分がしたいようにしてください」

聴き続けるもよし、
逃げるもよし、
お説教するもよし、
なぐさめるもよし、
受け止めるもよし。

ただね。
「聞いてあげるいい人」ちゅうのは、
つい自分が「サンドバック」になりがち。
自分がひたすら聞いてし消耗したり、
相手の自虐話がいたたまれなくて より自分を落として話をしたり。
(たとえば 自分の方がいかに「向いてない」か、自分の失敗談を話まくるとかね)

話す側には話す側の都合があり、
自分には自分の都合がある。

相手ために、相手を想って、
というのは もちろん大切。

ただ、自分を犠牲にする、はイコールではないのだ。

もし「自分が話を聴かなかったせいで・・・」
と、「自分のせいで相手が〇〇~」という思考があるならば。

それこそが あなたが捕らわれている部分。

自分の人生、誰のもの?
あの人の人生、誰のもの?

そこからの話だ。

◆さいごに

「向いてる 向いてない」

でも、そこそこ人生時を重ねて 色んなこともやってみて思うのだが。

向いている、とか向いてない、
これそのものは
生きるにおいて さほど重要ではないって事。

向いていても、向いてなくても、
やってもいいし、やらなくてもいい。

やろう、と思って続けている限り、それなりにはできているのだ。

ただ、どんな時に 向いてる 向いてない、と考えるのだろう。

最初の時点でコツを掴むのが早ければ
楽しいし 「わりと向いてるやーん」って思うよね。

最初のコツが掴めずに いわゆる要領が悪い、しんどい、つまらない、
そう感じた時は 自分は向いてない、って思うよね。

なんか、ただそれだけ。

向いてない、そう思っていても 続けている人はできている。
どんな仕事でも コツを聴けば「場数だ」って口にする。

それにいわゆる 向いてるタイプの人だって
苦労をしていないわけではない。
努力や工夫もしてきている。
つまづくポイントや時期・長さは人それぞれ。
だって、みんな同じではないのだから。

ただ、それだけなのだ。

さて。

向いてる、向いてない。

そう感じたあたな、次はどう行動しますか?