情報発信について①~情報の扱い方=信用・信頼~

「名もなき活動家」東 舞香。

ここ最近は隠密活動に切り替えています(笑)

実はHPに載せていた活動メニューもこっそり下げ、
(施術やその他依頼は直接付き合いのある方からちょこっと受けるだけ)
SNSやブログでの発信も、以前に比べ
ずいぶんゆるりゆるりとなりました。

「で、東さんは最近何やっているの?」
おかげでここ最近、再びよく聞かれるように・・・・

まぁ、そのご報告も兼ねての記事。

書くうちに長くなったのでシリーズに分けてみる事にしました。
今回のテーマは「情報発信(SNS・ブログ)」「言葉」について。

◆名もなき活動家 東舞香。またの名を「隠密活動家」

実は。

最近はいくつか人材派遣会社(イベント運営系)や
サンプリングの会社に登録。
今までやってこなかった類のお仕事を経験中であります。

(∩´∀`)∩オモシロイ

でね。
ここでのキーワードは
「情報」「守秘義務」「信用」・・・

◆守秘義務

「業務に関わる全ての情報をTwitter・Facebook等のSNSやブログ等に許可なく公開する事を、一切禁止しています」

つまりは

「‘今日は大手企業〇〇さんのお仕事で
こんな場所でこんな仕事をしています~’
v( ̄Д ̄)v イエイ

なんて調子に乗って気軽にネットに情報アップするのはNGですぞ。」

というわけです。

・・・・・

この歳になって初めてイベント系やサンプリングのお仕事。
これがまた結構面白いところに関わっていてね。

「この服装のお写真撮ってアップしたいYO!」
「あのイベントの〇〇担当しているとネタにしたいぞなもしー」
「TVで見るあの人見たって言いたいoh yeah!」
なーんて思いつつ、大人の対応をしています。

(´・ω・)(・ω・`)ネー

(※過去に名前出しているところは責任者の許可得ているのでご安心を)

◆たかだが写真、つぶやきと侮るなかれ。

「こんなイベントに関わってますってアップするくらい、イベントの宣伝にもなるんだからいいじゃんかよー」

「ただの一般人がネットにアップした反響なんてたかが知れているし。」

他にもそう感じる方もいるかもしれない。
わたしも 関わってみるまではそう思っていた。

だがしかし、そう気軽なものではない。

業務上関わって得た情報。
場合によっては情報流出・損害賠償の話までいってしまう出来事になるかもしれない。

たとえば。
大きなイベントにお仕事に参加したとして、
気軽にお写真ぱちりとしてネットに投稿したとしよう。
その載せた写真に、イベントのスポンサーさんのライバル会社のロゴがちらりと写り込んでしまう、
なんてこともあり得るわけで。
(衣服、周りの景色、その他商品にいくらでも写り込む)

テレビで時に見かけることがあるだろう。
他社のロゴ入りシャツやペットボトルなどにモザイクがかかっていたりするやつ。
わたしは以前
「なんでやろ、不自然で余計気になるんだけど」
「あれくらい別にいいのに」
なんて思っていたのだが、
そんなこんながわかる年頃になりました。

たかだが写真、つぶやきと侮るなかれ。
すべては「情報」。

「情報」とはなんぞ。
たとえひとつの事象・事柄でも含まれる意図や役割、重要性は
受け取る相手・時や場面において変化するものでもある。
これくらい大したことはない、そう思っているものでも
どこの誰かにとってはお宝なのかもしれない。

情報ひとつ、
得るにも広めるにも
労力も必要で、かつ扱うには配慮が必要なのだね。

◆難しいのは情報拡散?それとも収拾させる事?

時々起こる出来事のひとつ。
バイトの人がSNS類でいわゆる不適切写真をアップしてニュースになるやつ。

それに関してどうこう述べるのは避けるが、
そういう気持ちもわからなくはない。

たとえば 一般的に携わる事のない裏方、
自分が初めて関わるお仕事など、
自分にとって・人にとっての非日常はいわばネタの宝庫。

せっかくならお写真撮りたいし、
普段はないシチュエーション、なにやら色々面白い事も思いついちゃうのだろう。

仕事用とてプライベート用とて、
自分が発信したものが何かしらの反響があると
素直に嬉しいし楽しいものだ。

しかし
自分が軽い気持ちであるほど、
それを重く受け止める可能性をイメージできない。

そんな軽い気持ち・浮かれた行動とは裏腹に
「ごめんちゃい」では済まない事がある。

・・・・

SNSは絶好の情報拡散ツール。

とはいっても、流す情報や使い方によっては
うんともすんとも反響がない事の方が多いかもしれない。

(だからこそ、特に仕事・集客に使うならば
テクニック・戦略も必要となるのだが。)

ただ。
それでもやはり、ネットに乗せた情報は 何かのきっかけで一発で拡散する事もあり得る。
そして、それが自分の意図した反応かどうか。

拡散する事の大変さもさることながら、
一度拡散してしまったもの、収拾する必要が生じてしまうなら、
どれほどの労力が必要だろうか。

(まぁ、そういう世界では消すプロもいるのだろうけどね)

◆情報の扱い方=「信用」

以前お世話になった とある方の話。

その方は、ブログやSNSは一切やっていない。
予約などのやりとりはメールと電話のみ。
わたしがその方を知ったのは友人からの紹介で、
その友人もまた、口コミで紹介してもらったのだとか。

予約取るのも、ネット上空きが見れてぽいっと申し込めるなら早いし、
HPあれば、人に紹介する時にそれも見せれる。
というわけで、HPやブログなどあるのか確認してみたのだ。

でね。
その方曰く、HP・ブログはやらないのだとか。

その理由。

以前顧客の方に
「HPなどしていない人だからこそ、安心して来ている」
「自分のした話などネットに書かれたくない。」
と言われた事があったそうで、それもあって、やっぱり必要ないと始めなかったのだとか。

◆こころやからだにダイレクトに携わる方々へ

特に、人のこころやからだ、人生にダイレクトに関わるお仕事の方々には伝えておきたい。

・・・・

ブログやSNSでの投稿で
「これってわたしの事ですか?」
とメッセージする人を揶揄する側の投稿を時折(というか、割とよく)見かける。

(それが共感・応援メッセージなら嬉しい事として、
被害者的な訴えであればクレームとなるやつ)

もちろんね、それに対するその方々の意見もごもっとも。
その方の感じた事、それだけの事。

ただ、
わたしはそこに加えて、その発信側に伝えたい事がある。

言葉とはなんぞの話。

◆言葉とは

言葉。

伝えたい意図を伝えるツール。
にも拘わらず、時に面倒で、
時に使えば使うほどにより伝わらない事だってある。

人の勇気づけ・応援にもなり、
人を傷つけ、踏みにじる事もできる。

でね。

出来事は出来事。
結局はどう受け取るかは受け取り側次第。
出来事に対する意味づけは、その人次第。

・・なんだけどね、
だからこそ、配慮が必要なのだ、という話。

「これってわたしの事ですか?」
先程のネタの話に戻るけれど、
それは確かに、そう捉える人の問題。

確かにね、
自分が一般的な内容として書いた記事に対して
「それっての事?」とぷんすかしたメッセージを受け取る側としては
気分はよくないし、まぁ、面倒だろうね。

でもね。
それは、自身が意図したものとは
違う形で受け取る人がいるかもしれない、という事。
たとえば自分だって、今日は平気な事も、別の日には平気でない事だってあるもんだ。
つまりは、受け取る側が、みんな自分が思うように
受け取ってくれるとは限らない、という事。

つまりは、それを理解せず発信をするならば、
何かにつけてバトルになりやすいわけである。
そうでないと、ぷんすかさせた加害者?ぷんすかされた被害者?
どちらも同じ土俵に居続ける事になる。

特に。
セラピスト・治療家さん系ならわかるはず。
人のこころとからだとのつながりを。
元気な時もあれば、繊細・過敏になる時だってある。
元々の器質が元気はつらつ・天真爛漫、繊細な人、
感覚優位・思考優位タイプ、それだけでも受け取り方が違う。

つまりね。

あなたの記事ひとつ、
あなたの言葉ひとつ、
誰かの人生に関わっている。
自分が意図しようがしうまいが、
言葉ひとつ、誰かの人生に立ち入っているのだ、という事。

それだけは、時折思いだしてほしい。

◆ 人として「信用」しているかどうかのポイント

これもあくまでわたし個人の話。
わたしが人として信用しているかどうか見極めはここかな、というところ。

・「ここだけの話」が本当に「ここだけ」になるのかどうか。

・「ここだけ」の話だが、
この人からなら、たとえリークしてもいいかと思える事
(この人からなら、自分の意図がねじ曲がっては伝わらないであろうという確信)

・わたしの「ここだけの話」を、この人になら役立ててほしいと思う。

人に自分の事を話す、
第三者が関わる話をする時、
時として「ここだけの話」というのがある。

厳密には、人に伝える時点でもう「ここだけ」にならないのはわかっているが、
それでも自分の伝えた意図と違う話で伝わるのは避けたいものである。
だからこそ、時には慎重になる。

また、わたしも時に人の話を聞く側として
「ここだけの話」を安心してしてもらえる時や、
人に話してもいいという許可を快く頂ける時は
とても嬉しく思う。

◆SNSつぶやきあるある、言葉について

「困ったクライアントあるある話」を
SNS・ブログネタとして
呟く人も少なくはない。

なぜなら、そういう方が反響がいいからだ。
読み手としても、確かに面白い。
また、自分が知らない事も知る事ができ、お役立ち情報でもある。

ただ、わたしはそういうセラピスト、
またセラピストに関わらずそういう人には仕事を依頼したいと思わない。

わたしがSNSで人の投稿を見なくなったのはその影響もある。
特に、言葉の持つ繊細な影響に気付かなくなっているセラピストには近づけなくなった。

ちなみに、わたしがこれまでに足しげく通ったり、
人に紹介するカウンセラー・セラピストさんは
いずれもブログやSNSの類は一切していない人ばかり。
SNSはしていても、セラピーに関する「つぶやき」はしていない。
(必要な情報として書くのとはまた別ね)

そう、そもそもわたしが素敵だと思う人を思い返すとね、
そういうやり方やっている人はいなかったのだ、と今更気付いたわけで。

人に伝える時の言葉選びや表現に対し、とても丁寧に扱っていると感じる方々。
だからこそ、自身の発信についても
見直す事となったわけだ。

(まぁ、結果的に普通の日記的つぶやきに戻っただけ)

言葉が丁寧、とは、
綺麗な正しい日本語を上手に完璧に使う、という意味ではない。

時に、「言葉の波動」の話になると
それを「キラキラ系」と揶揄する解釈も目にするが
言葉だけキラキラして取り繕えばいい、とは違うのだ。

それは、言葉を届けるその先にいる「人」が見えているかどうか。
自分の気持ちや考えを伝える・届ける相手に届くために、
伝える内容・表現を丁寧にする。
(丁寧、というのは、人それぞれの表現は違う)

ただ。
きれいに取り繕いすぎて本音が隠れた言葉では、届けたい人に届かなくなる。
飾らない・時に荒々しい言葉で届くのはそれが腹の底から出た本音である時
しかしね。
その目的や順番を見失うと、それもまた、取り繕われた・もしくは単に配慮の無いだけの
「届かない」言葉となり得る。

この違いはね、
相手に届ける・伝えるという意図が根底にあるかどうか。
(届ける、ではなく「自分の感情をぶつける」との違いがある)
それだけの事である。

◆さいごに

人との関わりを通じて得る「情報」。
情報の扱い方ひとつ、人としての評価となり得る。

お仕事、また人との関わりとして大切な
安心・安全・信頼・信用、そんなキーワードにつながる。