合気道に学ぶ生き方~「力」に「力」でやり合わない生き方とは~

「合気道」

その教えの中に、人としての生き方・在り方が凝縮されている。

今回は「力」の話。

◆「力」に「力」で対抗すると・・・

人は、時に自分にとって脅威・不都合な出来事や環境、人などの影響も受ける。
そんな時、自分に脅威・不都合をもたらす「相手」に対して
どうにかこうにかしようとするだろう。

それがね、時にはさらなる争い・戦いに発展する。

ここで伝えたいのは「力」の話。
「力」に対して「力」でやり合わない方法を選ぶ事もできる。

強い力に対して、力でやり合わないとは?
力でやり合わないと負けるのでは?

そうではない。
力でやり合うより強いもの。

それは
自分の感覚に従った、自然の行動。

◆合気道の例~力でやり合う・やり合わないの話~

①「力」に対し「力」でやり合う

「相手から~~された」
「体が動かない」
「重い、痛い、苦しい、」
「こいつさえいなければ」

そのポイントに視点が集中。
どうやって相手をはねのけるかに尽力する。

もがく・力で押し返そうとする。

いわゆるパワーゲーム・闘い
力が強いものが勝つ

たとえ、ここで自分の力が勝って上になる事ができても。
相手がまた来るならば、再度やられないために
今度は自分が相手を押さえつけ続ける必要もでてくるだろう。

①力に対し、力でやり合わない

①と違う点はどこか。

力に対して、力でやり合っていない。

痛みや苦しみも、無視しているわけではない。
感じている。
しかし、視点がそのポイントだけではない。
からだは、もちろん動かない部分がある。
だが、他に動く部分がある。
だから、動かしていいのである。

心地が良くない。
どうやったら心地よくなれるか。
疲れたらうーんと背伸びをする自然な感覚。
それを大切にすると、自然と体は動く。

◆自分の感覚に従った、自然の行動。

フォーカスするのは、自分の感覚。

自分が心地よくあるために、日常自然と取る動作がある。
実はこれは一番強いのである。

あたまが痒い時、手で頭を掻く、
歯を磨く、などなど

いわゆる無意識に自然と取れる動作と言うのは、
無駄な動きがない。
かつ重心も安定している。
手を挙げたり下げたり動かすにも、いちいち重心がブレない。

(※ちょっと古い映画だけど「ベストキッド」の修行もイメージに近いかも。
ワックスかけ、ペンキ塗りの動作での修行のやつ)

でもね、これを頭で重心がどうのとか考え出すとね、
途端に重心がブレる。
それほど、自然の感覚とはすごいのだ。

◆人と人がぶつかる理由「なんとかしてやろう」

合気道だけに関わらないが、最も大切なのは「意識」。

でね。
これもわたしが体験した事なのだが、
相手に技をかけてみよう、試してみよう、
そう「意識」した途端、からだに力が入ってしまって
技をかける事ができなくなるのだ。

この意識、一瞬だけで「からだ」がこわばる。
つまりは「こころ」のこわばり。

自然にしようと意識した途端、すでに「不自然」になる。

・・・

でね。
日常でもよくあるだろう。

「自分が相手をなんとかしてやろう」

たとえば
旦那に〇〇辞めさせたい、
子供に〇〇してほしい、
〇〇してくる友人をどうにかしたい、

また、「〇〇すればもっとよくなるのに」
「よかれと思った事」が「余計なお世話」になるのも
相手から求められていない・同意がない、一方的な自分のコントロールしたい欲求だからである。

心理学系・スピ系でもよく聞く言葉がある。
「相手は変えられない。変えられるのは自分」

もちろんね、人それぞれの真実美・正義がある。

だからこそ、それが行動の原動力でもある。

でもね。
自分に真実美・正義があるように、もちろん相手にもある。
それを、相手の同意なく、自分の都合の良いようにコントロールしたい気持ちは
衝突や摩擦を生じる。
だから、一方的に相手を変えようとすればするほどバトルになる。

もしかしたら相手も「自分を変えようとしてくるあなたを変えたい」そう思っているかもね。

自分が変わる。
だから、相手も変わる。
相手が変わるのは、結果でしかない。

ちなみに、
この話の筋をズレて解釈してしまう場合がある。
「相手を変えたいがために、自分が変わろうとする」事。

わたしが変われば、相手も変わってくれるだろう。
これはね、実は「変わってない。」
何が変わっていないかというと、
「相手をコントロールしたい気持ち」。
それはね、自分が変わったとはいわないのだ。
そういう場合、単なるパフォーマンスにしかすぎないものは
結果、望む現実には至らないだろう。

自分が変わる、というのは
「相手」をコントロールしなくていい、
相手にフォーカスせず、「自分」にフォーカスして選択・行動する事。

「相手」が変わろうが変わるまいが、どちらにも左右されなくなるのだ。

◆ことわざ「暖簾に腕押し」「柳に風」

合気道の話からイメージしやすいのは
「のれんに腕押し」「柳に風」など。

ことわざとは、(言)の(業)。
これもまた、ほんとによくできているよね。
ここにも人の智慧が詰まっていて、それを伝える言葉だとわかる。
人との関係性・生き方のヒントの一つなのだ。

でね。

世の流れで「生きづらい」と感じる人は

スピ系でよく例えに使う言葉なら「鎧を着る」状態。
ありのままではない状態。

のれんで例えるなら
のれんが布そのものを分厚く強くしようとする事。
ひらりとなびかないように布をぴんっと張って耐えようとする事。

のれんがひらりひらりとなるのは、
その持ち前の生地の薄さ、繊細さ、軽さ、柔らかさがあるから。
つまり、自然に身を任せれば、力でやり合わずとも
おのずとひらりひらりとできるのである。

でもね。

ひらりと身をかわす事が逃げる・弱い・ダメな事
自分には個性がない、もっと布をピンっと張って前に出ないといけない、・・・・

とくに繊細さんタイプは、
個性・影響の「強い・大きい」人に引っ張られがちなのだ。

人は、もちろん人の中で生きる。
人がいるから、人との違いがわかる。
ただね。
人と比べて比べて上とか下とか、どっちがスゴイ・ダメ、ではない。
それぞれが「違う」事を認識すればいい。

周りと比べすぎて「自分がわからなくなる」状態というのは、
人の影響を受けすぎて、自分がかき消される感覚になるのだ。
自分が面白くない、つまらない、弱い、ダメ、なんとか変わらないといけない、
そんな感覚に陥る。

だから、持ち前の薄さ、繊細さ、軽さ、柔らかさを活かす事ではなく
布をピンと張る事、布の生地を強く・分厚くしたい、
そんな方向にいってしまう。

そんなのれんが、ちょっと頑張ってピンと張ってみる。
ほんのちょっと分厚くなってみる。
でもね。
ちょっと分厚くなったとて、そもそもの器質・気質的に分厚くないのだ。
ただただ、攻撃・刺激に対して突き刺さりやすくなるだけの結果となる事もある。

・・・・

人にはそれぞれ「個性」がある。
持っている宝物が違うだけ。
今、自分が持っているせっかくの宝物、
それをいい・わるいの判断で切り捨てる・変える・ないものを求める、
そんな探しものを続けているなら。
大切なものは今、見えなくなっているだけで
ちゃんと持っているのだ、とお伝えしておこう。

◆感覚・体験ありき

こころのお勉強を「頭」でするのが好き・頑張っている人には是非お伝えしておきたい事。

合気道の講座中に
わたしがその様子を動画で撮影したのだが、
それを講師の先生に止められた。

それはなぜか。
伝えているものは「体験・感覚ありき」の事だから。

ああ、わたしのクセがここにも出たな、って気づいたのだ。

わたしが写真や動画で後で見たいのは、
つまりは「頭で理解」「分析」したいから。
分析して、ここがあーでこーで、と伝えたいから。

相手がこう来たら
足がこっちからこうで手はこうすればいいのか、
ここで相手が転がるのは力の方向がこう向くからか、
ふむふむ
φ(`д´)メモメモ…
みたいな。

でもね。

「(感覚を)わかりたいのにわからない」
「(気を)感じたいのに感じられない」

を続けてきたのは
過去、ずっと頭で理解・納得しようとしてきたから。

どれほど言葉や視覚で伝えようとも、
最終的には本人が「感覚を感じる」「体験」を持ってしなければ
伝わらないものがある。

だからね、
その講座中に撮った写真は後で見なくていい、
聞いた話も忘れていい、
そんな事を伝えてくれる講師の先生なのだ。

頭でお勉強さんタイプの例をもう一つあげておく。

たとえば「レイキ」などのエネルギーワーク系。
基本的な事を続ければ、誰でも気を感じる能力は引き出される。
(特別な事ではなく、みんなある感覚。ただ忘れている・気が付いていないだけ)

その中で「呼吸法」を学ぶのだけどね。

「一日何回どれくらいやったら気が感じれるようになりますか?」
「気を感じるって、どんな感覚なのですか?」
「このピリピリ感じる時って、どんな意味がありますか?」

説明を事細かに、
そして実践するよりも先にあれこれ聞きたくなる人。
(実はわたしもがっつりこのタイプ。)

正解不正解はないのに、
やってみて心地よくなればいいだけなのに、
どうしても知りたくなる。
それは、自分が「わからない」と思っているから。
「できない」と思っているから。

もちろん、コツや方法を知る事も大切。

でもね。
これも最終的には「感じる」「体験する」しかないのだ。

そして、そのために一番大切な事。

「自分を信頼する」

あれやこれや確認したくなる時、
探したくなる時、
足したくなる時、
そこに必要なものは「自分への信頼」なのである。

◆さいごに

人は、どんな生き方・経験をしてもいい。

がっぷり四つ・パワーゲームの生き方が向いている・選ぶ人もいる。

闘いの中に身を投じる事が、自分を活かせる道の人もいる。

たとえ「合気道」とて
常に交わし続けるだけが勝負ではない。
自身の「ニュートラル状態」が同じならば、力の差ももちろん勝敗に影響する。
だから体・力のトレーニングももちろん必要。

わたしのようなタイプでさえ、
乗った乗られた、やったやられたのパワーゲームももちろんある。
それが嫌な時もあれば、そこに面白味を感じてしまう時だってある。

ここで伝える事。
楽しむなら、選びたいならとことんやればいい。
しかし、選びたくないならば、選ばない生き方もできる。

自分の身を置く環境・関わる人々、関わり方。
その時々で感じるままに選び続ければいい。

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