「生きるって、面倒くさい。」

「生きるって、面倒くさい。」

「人生生きやすくなった」
「人生楽しい」
「生まれてきてよかった」

そう語る人々が、
一切の泣き笑いがなくなるわけではない。
一切の迷いがなくなるわけではない。
全ての事が一生スムーズに運ぶわけでもない。

言い換えると
生きるって、けっこう「面倒くさい」のだ。

どうして自分だけこんなにつらいんだ?
悩みのない人っていいな。
〇〇すれば、〇〇を学べば、悩み事のなくなる人生になれるはず。

そう「勘違い」している人へ。

◆「生きづらい」とは。

生きづらい、とは何か。

自分を生きていない感、
自分を発揮できていない感、
自分が満たされていない感。

そうなった経緯は人それぞれあるだろう。
紐解けば、やはり幼少期・生育歴、つまりは「過去」のどこかの出来事。

どこかの誰かの「~~するべき」にとらわれ、
いつの間にか自分の好き嫌いすらわからないようになっている。
自分がどう生きたいか、何が好きかもわからないようになってくる。
なのに、このままではいけない感はちゃんとわかっている。

しかし、本当に自分が選びたい事は選んではいけない、
自分が本当に選びたいものが、選択肢から外れている、
そう思い込んでいるから、生きづらいのだ。

そこから抜け出すためには
「自分で選んでいい」と気付き、行動すること。
それだけなのだ。

それができるようになった人はね、
自分の好き嫌い・居心地の良い悪いがはっきりするから、
選ぶ時間が早まり、迷う時間が少なくなる。
だから、展開も早まる。

でね。
ここでひとつ、大切なことを伝える。

「自分を生きている感」がある人を傍から見ると、
キラキラ、自信に満ち溢れ、堂々として、
一見、怖いものがないかのように見えるだろう。

もちろん、「強くなる」部分はたくさんある。
どこかの誰かが喜ぶ選択ではなく、自分自身のための選択ができる強さがある。

でもね。

辛いことも、怖いことも、悲しいことも、痛いことも、
なくなるわけではないのだ。

◆「生きやすくなった」と表現する人は

自分の好き・嫌い、快・不快が明確である。
自分が選びたいものを選び、行動に移すのが早い。
だから、出来事・展開が加速する。

自分の人生は自分のものであるとわかっている。
命に限りがある事・「生かされている」実感がある。
だからこそ、他の誰でもない「自身」がワクワクする選択をし、
結果、「うまれてきてよかった」
そう思える。

それを純粋に伝えているだけ。

ただね。
その過程は、面倒くさいこともたくさんある。

なぜなら

自分の好き・嫌い、快・不快が明確になる、
という事は、
自分をごまかせなくなる・嘘を付けなくなる。

心地の良さがはっきりするという事は、
心地の悪さもはっきり感じるという事。
時には過度の防御や攻撃せざるを得なくなる事だってある。
できたらとどまっておきたい場からでも動かざるを得ない事だってある。
自分の選びたいものを選択をするために多大な労力を使う事にもなる。

◆生きやすくなろうが、色々ある

どれほど「生きやすくなった」人でも
やっぱり、色々あるのだ。

さて。
自分を生きると決めた人が、
その後起こる出来事を挙げてみる。
・・・・

まずはなにより自分の選びたいものを自分で選ぶ、そう「決める」事から。
できる人にとっては当たり前の事。
しかし、ずっと「それはナシ」の選択をし続けてきた人にとってはね、とっても怖い事。
これまで自分を守るために身に着けた鎧を「脱ぐ」とは、ここからが始まりなのだ。

自分の好き嫌い・快不快の感覚を取り戻すとね。
それまではスルーできていた「違和感」も、スルーできなくなるのである。

違和感があっても、その後の労力や損得を考え選択する事ももちろんできる。
しかし、それも納得して選択したものでなければ
いつまでたっても違和感を感じ続けるもの。
そしていつか、その違和感が「確信」に変わる出来事も起こるのだ。

やっとの想いで覚悟を決め、大きな選択をした後には。
その後に覚悟を問われるようなゆりもどしの出来事も起こる。

自分が「こっち」と決めると、
「そっちでないよ」とそそのかす人や、怒ってくる人もいるだろう。

過去いくらお世話になった人であろうとも、
過去いくら居心地がよかった場所であろうとも。
「今」自分に合わなければとどまる事ができなくなる。

好きな人とだけ過ごしたくとも。
自分の好きな人の周りが皆、自分と合う人とも限らない。

迷い中・わからない状況は動けない。
しかし、言い換えると動かなくてもいい状況、ともいえる。
「やるべき事・やりたい事」が明確になれば「動かざるを得なくなる」。

動きたいのに動けない、時間はあるのに無駄にしている感、
その最中はとてもしんどいものだ。
しかし。いざ動き出してじっとできなくなると
今度は「ゆっくり休みたい」「もっと時間がほしい」なんて思ったりもするもんだ。

「やりたい事のために必要な事」であれば、
たとえ苦手・面倒、やりたくない事もやらざるを得ない事がでてくる。
どうあがいても、それをやるしか進めないなら、やるしかない。

安定・維持を求めて動いても。
いざ安定すると、今度はそれが停滞に感じる事もあれば、
あらたなチャレンジ・試練が舞い込んできたりもする。

上がり調子・安定の状態になっても。
それは一生維持し続けるわけでもなく、かならずや変化していく。

人生プチ悟り状態になろうとも。
気付かされる・鼻をへし折られるような気付きの出来事もやってくる。

病や不調をきっかけにからだや心を大切にしようと誓っても。
ほとぼり冷めたころに無理をしてぶり返す事もあるだろう。

どれだけ人生経験豊かであろうとも。
怪我したら痛いし、風邪ひいたらだるい。
面白ければ笑うだろうし、いらつく出来事だってある。

なのに、人からは
「〇〇さんはいいですよね(どうせわたしなんて・・・)」
「〇〇さんは悩みなんてないんですよね」
そんなやっかみ・攻撃を受ける事だってある。

・・・

つまり。

なんやかんやある、というわけだ。

それでもね。
自身で人生を選択してると自覚すると、
出来事に対しての「受け取り方」が変わる。
エネルギーを向ける方向性が「人」ではなく「自分」に変わる。

結果的に
寛容になる、穏やかになる、パワフルになる、強くなる、
多少の事では動じない、人を許せる、優しくなる、個性的になる、
などなど。

◆面倒、でも大丈夫

なぜ「面倒」な事がなくならないのか。

そもそも。

もめごとが「面倒」だから、
相手を傷つけたくないから、
自分を主張する労力で疲弊するから、など

面倒が嫌だから妥協していた部分があるわけで。
そこを妥協しなくなる、できなくなる。
好きも嫌いもはっきりわかるようになるとは、そういう事。

自分が選びたいものを選ぶ、それだけの事なのに
いろんな衝突や摩擦だって起こる。

それでもね。

「自分を生きる」
「自分で選ぶ」

それをやってもいい、そう気づいた・思いだしたならば。
どれだけ面倒であろうとも
自分をごまかす方が、よっぽど嫌なのだ。

自分の人生、自分のものだとわかっている。
自分の責任だとわかっている。
だから、「誰かのせい」にしてくる人の言葉にも惑わされなくなる。

◆「生きる事そのものが面倒くさい」そう感じる時。

時に、ひとつひとつの出来事ではなく、
「生きる事そのものが、なんか面倒」だと感じる時もあるだろう。

・・・・・

生きるのが面倒くさい、
これを、ひとつの解釈で語ると
「面倒だと感じる余裕がある」ともいえる。

今日明日食べる事寝る場所、生きる事に必死な時。
面倒だなんて考えている暇はない。
災害や病気、貧困など、「生」の危機に直面している立場の時ほど、
人は「今、生きる事」を見つめる。

でね。
「生」を保つ状況が必死な人から見れば
「生きるのが面倒」なんてそんな事を思う事を、
とても傲慢な事のように感じるだろう。

でもね。そうではない。

たとえば
今日明日食べるものがない状況、
有り余る食べ物を捨てざるを得ない状況、
これはいつの時代も同時に存在する。

それはどっちの問題がいい、わるいもなく、
その人・その時々で状況が違う。
見える問題、向き合う内容、やるべき事が違うだけの事。

・・・・・

生きるとは、「命」ありき。

人はいつか死ぬ。
生きている事は当たり前ではない、その奇跡・ありがたみ。
目の前にある命・時間に胡坐をかいている場合ではない。

だからこそ、人は、人に命の重みを伝えたくなる。

人が生き、人生を歩むには
何よりも生命の安全、生理的欲求が満たされてこそ。
(「マズローの五段階欲求」で検索・ご参照)

つまりは、生命を保つための事が最優先・土台なのである。

土台が安定するという事は、さらに上に積み上げる事ができる。
おのずと目の前の課題・欲求が変わっていく。

でね。
積み上げるものが高く・多くなると。
いつのまにか土台は見えなくなってしまう。
土台がある事すら、当たり前となり、その大切さを感じなくもなってくる。

土台は見えなくてもいい。
ただ、「ある」事、その土台の大切さを忘れてはいけない。

また、いくら忘れたとて
それを思いださせる機会は必ずややってくる。

・・・・・

「生きる事が面倒」

生きる事そのものが面倒くさい。

目先にワクワクしたもの・光となるものが明確に見えない時、
特に面倒だと感じるだろう。
こういう時は、自分の気力が足りていない。
どこかで多大な消耗している可能性がある。

でもね。
ここで気付いてほしいのは
面倒「だけど」、それでも生きる・まだ死ねない・死にたくはない。
実はそれをわかっているからの表現。

ただ、自分の思うような現実ではない、
事の流れがスムーズではない、
動きたいが動けない、
動けば動くほどうまくいかない、
・・・

つまり。
「生きる事が面倒」なのは

現実を見ていない・自分をないがしろにしているわけでもない。
今起こってる、自分にとって心地の良くない状況と向かい合っている証なのだ。

そう感じる状況であるならば、あらためて自分の状況に見つめてほしい。
今まさに、「命ある」状況。

どうして面倒くさいんだろうね。
生きる事の「何」が面倒なのだろうね。
面倒くさいって、何だろう。
どうなりたい?どうなれていないと感じる?
今、どんな気持ちなのだろう。

まずはそこを、感じてみてほしい。

さらに上に積み重ねたい、自分はまだまだやれるという想いがあるからこそ。

だから、大丈夫。

◆さいごに

生まれたからには
命ある限り、死ぬまで生きていく。

それだけの事。

どの時代も、どの国でも、
生まれる・生きる・死ぬ・人生とは、
大きなテーマは変わらない。
しかし、時代や国、その人それぞれのテーマがある。

これまでにご先祖様・人生の先輩方が
ありがたい体験談・答え・ヒントを遺してくれている。

にも関わらず、わたしたちは読み書きだけではどうしても受け取れないものがある。
結局は「自分の体験」を通じてしか受け取れない。

だから、いつの時代も、人は同じテーマで悩み、かつ生き続ける事ができるのだろう。

わたしたちも、
大切だと思ったものはおのずと受け取り、そして引き継いでいくのだろう。

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