「現実主義派」スピ系の方にお伝えしたい事

いわゆる「現実主義派」と主張するスピ系の方にお伝えしたい
(治療家・セラピスト・ヒーラーなど)

以前気になっていたのはいわゆる「ふわふわスピ系」
(地に足のついてない、現実的・基本的な部分を差し置いて
ヒーリングなどに頼る)
ここ最近、「現実主義派」を主張するスピ系の方が目立つようになった。

(ふわふわスピをぶった切る系のブログ記事内容だったり)

でもね。
傍から見るとね。
ふわふわ系も、現実主義系も、どちらも危うい面がある。

◆現実主義系スピとは

いくら拝んでも、行動しなければ現実は変わらない。
まずは行動ありき。

ヒーリングでなんたらよりも、
まずはしっかり寝て食べて運動が大切。

お金は使えば減るもの。
「それは神様がやるなと言ったから」
自分がやりたくない事をやらない言い訳に
なんでもかんでも天使や神様のせいにするのではない。

なんでもセラピーやヒーリングに頼る前に
やるべき事をちゃんとやる事。

たとえば 伝えている事はそういう事。

◆現実主義を主張するスピ系の方に一言

危うい面とは何か?

「現実主義」という言葉を武器に、
それができていない人を嘲笑ったり、踏みつけたり、晒したりするツールに変わっている場合がある。

本来伝えたいところは
現実世界・行動する事大切さや、
スピリチュアルの本来の道筋のはず。

弱っている人、道を迷っている人を
嘲笑ったり、踏みつけたり、晒したりするためではないはずだよね。

ただね。
やはりそういう記事ほど人は反応しやすい。
よくもわるくも反響がある。
かつ、注目もされるから、確かに多くの人の目に届き、気付くきっかけにもなるだろう。

でもね。実際に多い反応を見ていると

たとえば
「こんな〇〇な人は困ります」
という発信をすると

「そんな事するなんて信じられませんね」
「ほんとコマッタちゃんですね」
「そんな人いるんですね、バカですね」

これは、本来伝えたい本質とズレてはいないか?
いわゆる、自分ではない人の失敗・できない事をネタにすることで
人の立場を「下げて」盛り上がる。
そして、面白がる人が野次馬となってやんやと盛り上がる。
面白い・ユーモア・冗談の範囲、と軽い気持ちの場合もあれば
むしろそういう発信が世直しだと感じたり。

これ。
こう書くと、ちょっと似ていない?

「いじめ」の構図に。

でもね。それを発信する側も集う人も、そこの自覚はない。

つまり。

それは感性が鈍っているサイン。

◆伝えるとは

本来、伝えたい事は何なのか?
伝えるためのテクニックとして、ユーモアやシャレなど確かに効果的。

ただね。
そこに人をむやみに上げたり下げたりする必要はない。
バトルをけしかける必要もない。

そうなれば、もちろん人は集まるし注目もされるかもしれないけれど。
その喧噪の中、伝えたい本来の意図をしっかり受け取ってくれる人はどのくらいいるだろう?

よくね。
炎上する系の記事でも
よく読めば伝えたい事はちゃんと書いてあるものもある。
それを読み取れる人は思うんだ。
「ちゃんと、読んで。読んだらわかるから。」

でもね、それが過激・不要な装飾によってその本質を受け取れない人もいる。
キャッチ―で人を惹きつける文言があっても、それにひっかかりすぎて本質が伝わらない。

本来、読み解ける人は、キャッチ―な文言でなくても、読み解ける。
よく読んで!と思っても伝わらない人には伝わらない。

それなら結局、その過激な表現、装飾。
いらないんじゃない?

◆ふわふわさんも、現実さんも。

どのみち。

ふわふわ系も現実主義系も。

結局は目に見えない世界を理解している人。

でもね。
確かに、スピ系が好きな人ほど、
傍から見たらスピ系を怪しく見えさせる節がある。
それがいわゆるふわふわ系。

そして、そういう人が語れば語るほど、
よりスピ系はあやしいのだ。
なぜなら、ふわふわ系さんは、いわゆる感覚派。
表現を文章や理論で説明が得意ではない。

体感しちゃっているものは、もう言葉に表現しようとも
表現しようがない。
だから、究極一言で言うならと
愛、感謝、宇宙、自然、なんて言葉を多用するだろう。

ただ、スピ系といっても、そういう極端なタイプだけではない。

スピ系を理解するタイプの人でも、
理論で説明できる・ふわふわ系が苦手な人もいる。

だからこそ、「スピリチュアル」=ふわふわだと
誤解を生みたくないゆえ、しっかり説明したくなる。

どちらも、伝えたい事は同じところにある。
ただ、その捉え方や表現が違うだけ。

◆さいごに

世に数ある学問は、
自然、宇宙、人、生き物、それぞれの法則を紐解いて表現し、そして理解し伝えてくもの。
今ある現象(はたらき)から紐解かれていくもの。
それが数式であったり術であったり形は様々。

そうやって人としての智慧は受け継がれていく。

スピ系とかそうでないとか、本来はない。
すでに見えるものと見えないもの、両方の中で生きている。

人として産み落とされたその人生の中で
自分はどこに着目して生きるのか、
それ次第の話。

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