フラット・中庸を求める人に、注意を投げかける記事。

「あの人はフラットな人」
「中庸な立場の人」

人当たりがいい、
調和がとれている、
偏り・クセがない、
などなど
いい意味で使われる事の方が多いだろう。

わたし自身も
自分が素敵だと思う人はそういう部分を感じ、
また自身もそうでありたいと思ってきた。

ゆえ、語っておきたい事がある。

◆「フラット・中庸」そう感じるほど 偏りが生じている可能性

自分の立ち位置を
「フラット・中庸にいる」
そう感じている人ほど、ちょっと注意。

自分や人を、フラット・中庸と感じる時ほど
その偏りに気付いていない時。
そんな可能性があるからだ。

たとえば。
わたしは幼い頃は福岡で育った。
当時、福岡は日本の「中心」だと思っていた。
TVで見ていた天気予報で福岡が真ん中に映っていたので、それを信じて疑わなかった。

また、言葉も「標準語」とほぼ同じと思っていたのだ。
今思えばバリバリ福岡弁なのだけおど。
でもね、関西弁とか東北弁を聞けば「方言・なまり」と思っていて
自分の所が普通だと思っている。

つまりは
その渦中にいる時は自身が偏っているとかの自覚すらない。
福岡を離れて、初めて気づいたのだ。

どれが真ん中とか、普通とか、正しいとかはない。
あるのは「違い」だけ。
他を知るだけでも気づかない。
渦中を離れる事で初めて気付く事がある。

◆何をもっての中庸?フラット?

物事を見たり判断したりするには、
その時々でものさしが必要になる。
また、視点というのは方向性がある。

その見る方向性や、使うものさしによっては
フラットだの斜めだの、端だの真ん中だのがある。

ただ、その視点やものさしそのものがひとつでないと知っておくことが大切。

◆色眼鏡とかフィルターがどうのの話

これもついでに。

物事を捉える視点の話のたとえで
色眼鏡で見ない、フィルターをかけない、
そういう表現について。

それは、そう。
人は、自分の思い込みや無知から決めつけをしてしまう事があるから。

ただね、この意味はちょっと勘違いしやすい部分でもある。

この、フィルターというものは、悪ではない。
不要なものではない。
「自分」という肉体は、受容器官。
人として備わっている五感も、その能力は人それぞれ。
いわゆるフィルターと表現されるものは、自身の肉体・五感を通すゆえ。

そもそも、人として肉体がある以上
完全無色透明なフィルター、
何にも影響を受けていないフィルターなんて、ありえない。
というか、フィルターがない人なんていない。

人・肉体であるからゆえ、必ず個性があり、その影響がある。
ただ、それはよくもわるくも作用する。

たとえ同じ物を見ていても
視力も違い、色識別能力も違い、目の疲れ具合も違い、・・・

個人として目指すクリア・フラットというのは
その個(肉体・精神面)を惜しみなく発揮できる状態。
だからこそ、体調や精神的な調整や学びを必要とし、
より濁りのない状態・クリアな状態に、という話なのだ。

(このあたりはからだとこころとたましいのつながりの話)

かつ、そういう状態であるからこそ、
他と自分が違う事を知る・まずは認める事ができる。
それを持ってして、フラット・中庸とはなんぞの話。

◆「フラット・中庸な人」とはなんぞ

もしやこれも
人によって定義が曖昧なのでは?

わたし自身もイメージはあるが、
あらためて定義は?と考えたら案外曖昧。

イメージを振り返ってみるならば、

どんなタイプの人でもうまくやれる人?
自分の意見を押し付けてこない人?
感情・情緒が安定している穏やかな人?
人によって態度を変えない自分を貫く人?
目先の事だけでなく全体を俯瞰して見れる人?
人に激しい感情をぶつけるのではなくて話ができる人?
全体の調和をとれる人?
ひとつの視点だけで決めつけをしない人?
人を支配ない人?

うーん。
たしかにこんなイメージなのだけど、
よくよく考えたら、これもすべてにおいての
中庸・フラットとはいいきれない。
全てを網羅すると矛盾が生じる内容もあるし、
単に自分の好みや都合も入っているよね。
自身のものさしをちょっと見直す機会になりそうだ。

「人」である限り、
本当の意味での人の真ん中なんて、ない。
あるのは「違い」。
ものさし次第、場面の切り取り方次第、受け取る側の解釈次第。

◆「あの人はフラット・中庸な人」

関わる人に対して
「あの人はフラットな人、中庸な人」

だからすごい人!
人を支配しない人、だから大丈夫!
みたいな。

わたし自身も、そう感じ惹かれる人はいる。

ただ、これを傍から見て気付いた事がある。

フラット・中庸、人を支配しない人だと
人を褒めている人そのものが、
実はその人の影響をがっつり受けているかも、
という事。

これまでの話をまとめるとね。
自身が影響を受けている時程、
それに気付かない時があるのだ、という話。
当の本人が影響を与えよう・支配しようとしていないタイプであっても、
影響を与えない・受けないとはまた別の話なのだ。

◆もし、身近な人に「心配」された事がある人は・・・

影響を受ける受けないの話の続き。

もしね。
自覚がなくとも、周りからやたら「心配」される、
自分の身近な人・大切な人からちょっと心配された、
そんな経験をした事がある人は
ちょっとだけ立ち止まってほしい。

自分が動く時・停滞する時、どんな時も。
それぞれにおいて
心配されたり、応援されたり、煽られたり、見守れていたり、
自分の周りから、様々な反応があるだろう。
もちろん、誰の・どの言葉を受け取るかも自分次第。

ただね。
余計なアドバイスはうっとうしい、
大きなお世話だ!
身近な人ほどドリームキラー?
もし、そういう想いを抱く機会があった場合、
ちょっとだけ、この記事の意味を反芻してみてほしい。
案ずる声・足を止める声 すべてがドリームキラーとは言えない。
時にはあなたを救う声かもしれない。
あなたにとって、どんな関係性の人が、どんな言葉や態度をかけてくるか。
そこをしっかり読み取って選んでほしい。

◆さいごに

この記事を書いたのはね。

わたし自身
「あの人はフラットで素敵な人」だと感じ、
そう表現した人はたくさんいる。
ただね。
「あの人はフラットだ」と盛り上がる時ほど
フラットではない部分が見えていないだけだと自覚する事があった。

また。
傍から見ると、そうなるタイプは
人を「みる」「接する」「癒す」立場の人たちに多いと感じる。

実はそういう立場の人達というのは
影響を受けやすいタイプが多い。
いわゆる、繊細・感受性の豊かなタイプ。
ゆえ、引っ張られている。
しかし、渦中であるとそれには気付きにくい。

もちろん、それ自体にいいわるいはないのだけれど。
渦中にいる時程その場をフラット・中庸だと感じやすく
そして、それを声高らかに主張したくなる。
ここもポイント。
実は、知らず知らず、頑張る感が出ている。

わたし自身が
「中庸・フラット」を目指すタイプだったから。
中庸・フラットだと感じる人に惹かれるタイプだから。
そして、一歩退いてみて、初めて確信となった。

だからこそ。
投げかけの一つとして残しておきたい。

このあたりは詳しくはまた別の話と絡めて書く予定。

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