時には情報の取捨選択を  ~「生き方」を綴った記事や格言の受信もほどほどに~

ネットは、今や日常お役立ちツール。

ネットひとつで
時間や場所の自由度は高くなり
自身のつながり・活動の場はとても広くなる。

ただ。
時に、その広がりゆえの狭さを感じる事はないだろうか?

今回はそんな話。
特に、人からの影響を「受けやすい」タイプの方に向けての内容。

◆人は、自分の想いや経験を伝えたい生き物

わたしは思う。
人は、経験として得たものは、
伝えたい・残したい。

その形や方法、内容、場所が様々なだけ。
そこに個を発揮できる。

口伝のみで伝える師匠がいれば、
それを残したい伝えたい弟子側がと文章に残したり。
そうやって、それぞれの立ち位置で伝えられ残っていくものがある。

でね。
今の世、ネット社会となった。
いわゆる一般の人でも情報発信が気軽にできる時代となった。

語りが苦手でも文章は書ける人もいれば、
文章は苦手でも語りで伝えられる人。
言葉でなくて、絵や歌や踊り等、
文章でも動画でも写真など表現できる幅は広い。

現物無くなったら終わり、
語るものがいなくなったら終わり、
そんな分野においてもデータで残せるものや、
ネットを通じて情報を広げる事ができるようになった。

◆格言・つぶやき・情報が溢れる

芸能人から、身近な友人知人の
参考書的なお役立ち情報から
日々のつぶやき・日記までも含む。

でね。

わたしが特に感じているのは、
日々のつぶやきと「生き方」に関しての情報が世に溢れている。

個人の体験・つぶやきから有名な格言・教えなど。
ちょっとネットをググるだけたくさんの情報が舞い込む。

それによって
生きづらいのは自分がつくった思い込みや足枷だったにすぎない、
一歩踏み出していい、
自分だけではない・仲間がいる、
などなど気付くチャンスになるし、
また自分の経験も伝えていける。

わたし自身も 必要な時はネットからもたくさんの情報を読み漁る。
おかげで、今がある。

ただね。
だからこそ、ちょっと気になる面もあるわけで。

◆「生き方」についてのブログや格言について

①あくまで「その人」の人生経験の中での気づきを綴っているもの

②人は、それぞれ生まれ持った気質、そして性格がある。

③ひとつの事象・言葉ひとつ
受け取り方はその時の自分次第。
そして何度でも変わる

(発信する側の意図と、受け取る側の解釈が全く違う事もある)

④語る側が「アイドル化」されていく風潮
ここで伝えたいのは。

・あくまで、人の言葉は、あくまで参考にすぎない
(それを踏まえ、自身の体験・経験から得るものである)
・情報・情報源の取捨選択も必要である事

◆ワクワクモードの風潮に一言

話の流れで、ちょっと触れておきたい事。

今の風潮で、「ワクワクモード」がどうのという話をよく耳にするのだけど。

時に、ワクワク嬉しいモードが「ホントの自分」と勘違いする人もいるだろう。

でもね、ここに罠があるように感じるので、あえて書く。
これも、解釈次第では、より生きづらい方向に引っ張られる可能性があるということ。

わたしが思う、このわくわくがなんたらの話の解釈を。

これは、人生の選択の方法としてどう選ぶか、という事。

~~べき、妥協、誰かのため、
そういう選択を続けてきてくるとね。
自分の好きがわからない・自分を生きていないと感じる。

そんな人に対して、
人生の選択は自分でしていい、
自分がわくわくする方を選んでいい、
起こる結果を期待したり、誰かのご機嫌を伺っての妥協した選択ではなく、
今あなたがわくわくするものを選べ、
自分で選んでいい、
今を生きろ。

そんな話だと解釈している。

でね。

そもそも、「ワクワクな状態(モード)」とは。

言い換えると
ニュートラル、ではない状態。

ニュートラル・中庸・通常モードと、
いわゆるワクワク状態は、違う。

「常にワクワク」を言い換えると
高揚しっぱなし、だよね。

人として、常に高揚?常にアゲアゲ?

確かに、人はワクワク・高揚・戦闘モードであると
なんなく動ける。何より楽しい。

でもね、それは通常のモードではない。
続かない。

それを勘違いしていると、
自分のニュートラルが物足りなくなる、わからなくなる。

ニュートラルな状態が、
停滞している、進んでいない、
特に周りと比べると、そう見えがちになるのだ。

自分のニュートラルがわからなくなったら、
おのずと、周りとの比較対象でしか評価ができなくなる。

もし、ワクワク・アゲアゲ、
その状態を長く続けたいなら、どうする?

「刺激」が必要だよね。
そのうちに、刺激にも慣れてくるのだけど、
強い刺激に慣れていくと、
もっと、わからなるものがある。

(それを強制的に起こしたい時の極みのひとつ、
それがいわゆるドラッグを使う理由でもあろう)

・・・・・

人は、揺れ動くもの、移り変わるもの。
それは肉体も、こころ(気分)も、周りの環境も、すべて。

時に怒ったり、落ち込んだり、
進んでいない感、がっかり感があったり。

どれもひっくるめて、自分。
どれも、自分の体験・過程・状態にすぎない話。

時にはワクワクできやしない。
ワクワク感よりも優先する選択肢だってある。

つまりは、どんなに輝いて見える人とて
24時間ワクワクしっぱなし、とは違うという事。

自分探し・ワクワク探し中の方は、
今一度ワクワクの意味の捉え方を振り返ってみてほしい。

◆ひとそれぞれ、基準が違う。

イケイケ・アゲア下・キラキラモード。
その人自身が本質に沿って生きていて、
魅力を惜しみなく発揮・開花されたり、
またはそれを予感させる雰囲気や過程に触れると
とても輝いて見える。

たとえば、
TVで活躍するような芸能人の雰囲気がある人、
モデルさんのように美しい人、
家庭を守り家族に愛されている主婦、
全国を飛び回り講演会をこなす人、
変わらないもの・一つのものを提供し続ける人、

などなど、たとえそれぞれ表現が違っていても
みな輝いて見える。

で。ここで伝えたいポイント。

人は、結局「人」。みんな違うだけ。

傍から見て「この人すごい」と感じる時。
比較して、自分はまだまだだと立場が「下」に落としている。
そして、自然と相手をさらに持ち上げるもの。

ただね。
人を「すごい」と感じだすと、すごい人と「決めつける」節がある。
ここは注意が必要。

みんなね。
どんなにすごいと感じる人も、
人は人。

上とか下とかあるように感じるけれど、
それはその時に比較するものさし次第。

時に神か仏か、と感じずにはいられない人にも出逢うけれど。
そういう人とて、やはり「人」なのだ。
人としてできた人、と感じる人ほど、「人」なのだ。

・・・・・・

どんなジャンルの人でも、生き生きしている人は輝いて見える。
ただ、輝く人全般を「うらやましい」「なにか参考にしなければ」
やみくもに羨ましく感じる・もしくは焦りを感じ出す事もある。

また、それが身近な人ほど、
ついていかないと置いていかれる感覚も生まれるかもしれない。
ただね。
そうやって周りを見れば見るほど、自分が「わからなくなる」ものだ。
周りがすごくて、自分はすごくない。

そう感じる時は、知らず知らず自分を一番差し置いてる時。

◆「アイドル化」について

今や、有名カウンセラー・セラピスト、経営者、その他様々な職業の人の
活動や生き方について気軽に話を聴いたり関わる事ができる機会が増えている。

活動内容のみならず、個人のキャラクターや容姿が魅力的であると
その周りには一層人が集まるものだ。
それを良しとする人が集まるので、より個性を発揮しやすいともいえる。
(その分アンチも寄るけれど、それとて反響の大きさとしてプラスになる)

ただね、ひとつ思う事。
これも、特別ではなく身近なところからつながり広がる流れが
顕著になってきたように感じる。

ゆえ、それが「アイドル化」する傾向がある。

魅力ある人がアイドル化されるのは、自然な事ではある。

ただしかし。
それを不自然にするのは、そこに集う周り側なのだ。

その崇拝された人の発する言葉はさらに効力を増す。
そういう人が「生き方」を語るものだから、
その言葉ひとつ、与えるも受けるも、その影響は大きいのである。

(どう不自然なのか、それは今後別記事に詳しく述べる)

◆SNSでもっともらしい事をつぶやく風潮

アイドル化していくと。
その周りも当然、行動も似てくる。

最近のSNSでよくある風潮。
たとえば、某カウンセラーさんに集う人達は、
ネット上で似たようなつぶやきをするようになる。

たとえば

「わたしは、ダメな人間なんだ」
「なんだ、わたしは愛されているんだ」
「このままでいいんだ」

みたいな。

自分にとって当たり前の事や
自分の悩み・想いを表出するだけでも
それに共感し、気付いたり救われる人がいるのは事実。
それで救われたと感じる側は、今度はする側となる。

まぁ、わたしの周りにそれが多いと感じるのは
興味のある分野やテーマが同じような人が集うから
必然的に目にする数が多いのだろう。

対面・リアルで発する言葉とはまた違うやりとり。
あえて文字にのせて、公衆の面前でのこのやりとり。

これは、人と人とのつながり方の変化ともいえる。

ただね。
上記のアイドル化の話につながるのだが
この風潮というか、その発信内容や、影響を受け方を見ていると
ちょっと気になるというか、違和感を抱くケースも増えてきたのだ。

いうなれば
受けている影響・引っ張られる方向が
好ましい方向、好ましいとは言えない方向、
大まかに二分するようにも感じる。

まぁ、これはあくまでわたしの感覚であり、
好ましい・好ましくない、はわたし個人のジャッジに過ぎない話。
(わたしから見て好ましくないように感じても、その人にとっては必然と言われればそれまでのこと)

ただ。
この文章を読んで何かしらひっかかりを感じる人がいれば、
何かしらの参考にしていただければ。

◆情報とは、エネルギーでもある

スマホ・PCを介してのネットであっても、
結局は「人」の影響を受けている。
その影響というのは、よくもわるくも。

文字も、音楽も、イラストなども。
すべては情報として五感のうちの何かを使って受け取るもの。

ネットを通じてとて、
それは単なる文字や絵、音ではない。

その情報には、いわゆる人の想い・念なども含む。
すなわち、「エネルギー」
目に見えなくとも、知らず知らずに受ける影響というものがある。

それは
直接対面、手紙、電話越し、ネット・メールなど、
その伝えるツールによっても伝わり方はそれぞれ違うけれど、
情報という話からすると同じ分類なのである。

内容的にも
お役立ち情報、娯楽から、
時には、愚痴・誹謗中傷、妬み嫉み、そんなものも飛び交うわけで。

しかも、それは場合によっては数限りない量となる。

もし。
自身にとって
ちょうどよくない感・お腹いっぱい感があるならば。

自分が得る情報源ひとつ、その量など、ちょっと見直してみてほしい。

◆受信タイプの方は特にご注意

人の得意分野・タイプとして
発信タイプと受信タイプ、
大まかに二分してみよう。

たとえば、わたしは基本は受信タイプ。
が、多少なりは発信する力も持ち合わせている。

ところで 今の世を生きづらさを感じやすいタイプの人というのは
いわゆる受信タイプ。

受信タイプさんは、
言い換えると
感受性が強い・繊細なタイプ。

たとえば
賑やかな場・大人数の集う場が苦手とか、
大きな声を出す人、ガサツな人が苦手。
空気読めちゃうから、それでも合わせようとするか、
ひたすら守るために内に引きこもる傾向。

つまりは、様々な影響を受けやすいタイプなのだ。

でね。

世にある格言や、某有名な人やイイ感じの言葉を
家中に貼ったりSNSでシェアしたり、
自分の気付きをSNSでつぶやきまくるタイプの人っているでしょ。

人生って~~だよね
~~すべからず
~~すべし

みたいな。

その言葉の深さを読み取れるから、
こりゃすげーって、ありがたい言葉をたくさん頂戴したくなる。
また、多少の発信力も持ち合わせている人ほどありがちな傾向ではないかな。
で。そういう人に、ちょっと一言。

ほんとはね、それによって
より生きやすくなるためのはずなんだけど、

時にそういう繊細なタイプは、
そういう言葉を拾いすぎたり、
想い・言葉の発信を頑張りすぎたり、
発信力のある人(影響を与える立場)に引っ張られたりして、
実はしんどくなることの方も多分にあるのだ。

あ!って思った人は、ちょっとだけ振り返ってみてほしい。

◆受けてる影響はどうか?

影響を受ける。
そのこと自体に、いい・わるいはない。

ただ、それによる変化が
自身にとって好ましいものかどうか。

目先だけではなく、ちょっと中期的・長期的なスパンで振り返ってみてほしい。

たとえば、

惰性でネットをだらだらする時間がやたら長い、

他にやるべき事がわかっていても、他の事やる気にならない。
(本来やるべき事とわかっているものほど、手を付けられない)

生活リズムや食生活が極端に乱れる、

など。

つまり、自身にとって好ましくない影響というのは、
一番基本的な、部分が、地味に崩れる傾向にある。

かつ、
それに気づいていない、
気付いているがやめられない。
そこが実はなかなかやっかいなところである。

◆疲れると判断力が鈍る

疲れたら素直に休めばいいけれど、
案外疲れた時程、できない時もある。

自分のキャパをオーバーしていると、
オーバーしている事そのものに気付かなくなる(気付いてもやめられない)状態になりがち。

また、惰性でやっているものほど、
さほど問題を感じず、適切な区切りを付けられないこともある。

また、情報の処理で頭や目を使う事、
電磁波・ブルーライトそのものの影響で
神経が興奮しギラギラモードになる、
だから眠れない、
眠れないからスマホ見る、
みたいなループにハマる。

疲れたら休もう、無理はやめておこう。
こういう判断も、ある意味キャパがあるうちできること。

◆受信と発信のバランス

最近、わたし自身は
ブログもずいぶんひっそりとしておりまして。

その理由のひとつ。
ネットでSNSやブログで人の投稿を見る事を減らしまして。
いわば、受信を減らす。

これまでに述べた理由で、つまりはお腹いっぱいになっていたから。

でね。
受信をおさえたら、自然と「発信」も減りましてね。

入るをはかって出ずるを制す(為す)
食べるの減ると出るものも減る、

みたいな。

ちなみにわたしは、
ブログを「毎日書く」なんてノルマは課していないので
そんなこんなでゆるりとやっております。

ブログネタとしては書きたいことはいくらでもあるのだけどね。
相変わらず 一記事がまとまらず数日かかる事もあるし、
逆に短時間で2、3記事書けちゃうこともある。
文章にうまくまとめられない内に旬が過ぎてしまったり、
自己完結してしまったり。
書きたいのにうまくまとまらないと、面倒でやめちゃったり。

結局は 書きたい事があればとことん書く、
書けない時は書けない・書かないというスタイルに落ち着いております。

◆さいごに

ネットは、今や日常お役立ちツール。

世界中、場所も問わない。

ネットひとつで、
つながり・活動の場はとても広くなる。

ただ。

その道具に使われだすと、
逆に狭さを感じるだろう。

それはね。
ネットの先にも「人」がいるから。

そしてこれは ネットに限らずの話。
出歩く場所、読む本、テレビ、つながる人などすべて含む。

自分の世界が狭い、そう感じる事があれば。
一度その場や、そのツールを離れてみるのもいい。

自分の受け取る情報源、量・内容など。
全てにおいて、自身で選ぶ・調整ことができるのだから。

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