「自分らしく」ではなく、「自分を生きる」と表現する理由。

「自分を生きる」とは。


自分らしく」という言葉を使うのをやめた。
「自分を生きる」という言い方に変えた。

調子のいい時もそうでない時も、

嬉しい時も、悲しい時も、

失敗だと感じる経験も成功だと感じる経験も、

すべてひっくるめて、わたし。

これまでもこれからも、
すでにわたしは「自分を生きている」

・・・・・・・・・・

「自分らしく生きる」という表現は

イキイキ・キラキラ、使命を見つけてまっとう中!
このキラキラしているのが本来のわたし!
生きづらかった今までさようなら!

それまでのわたしは
「本当のわたしじゃなかった!」

・・・

もちろん、イケてる自分って楽しい。
生きてる感じするよね。

でもね。

これまでの自分は、自分でなかった。
つまりは過去の自分を否定。

わたしはそのような意味に感じ取ってしまう。

過去の自分を否定したらね。
また、何かに追われる感、ないかな?
過去の自分に似た人を見下す感、ないかな?


わたしという人間、
本当の自分とか本当でないとかではなく、
それ全部含め、わたし

わたしが「生きづらい」と思って過ごしていた時期も、
それに「気付いた」ときも、
イケイケモードで、もう大丈夫だ!と思える時も、
答えがわからない!しんどい!という時も、
これだけやって「幸せ」と言い切れない自分って!と悔しくて泣いてしまう時も、

どの時点も、わたし。

・・・・・・・・・・・・・・・

生きづらい?幸せ?

わたしが「生きづらい」と感じていたのは。
「自分で選んだ感」がなかったから。
「幸せ感」が少なかったから。
「自分の望むとおりにならない感」があったから。

そう。実はすでにみんな
幸せであり
自分の人生を選んでいる。

結局は、そこに気付いているかどうか。
~~感が、あるかないか、それだけで全く違うものだ。

楽しい!嬉しい~。切ないなぁ・・悔しい!生きててよかった~、なんのために生きているの?もうだめだ!
云々・・・・

これすらも、
自分の人生の、それも体験の一つ。
自分で選んだ感、選んでいない感も、
幸せと感じる、幸せと感じない、
望むとおりになる感、望むとおりにならない感、
どれも、共にあるからこそわかる感覚。

どんな自分も、自分。

それぞれの感覚・感情、感性、体験・・・

すべては、数ある中の、ひとつひとつ。
ここに、いいも わるい も、ない。
どんな状態も、それはすべて自分。

でもね。
解釈ひとつで、救われる事もあれば呪縛となる事もある。

たとえば「笑顔」
みんな笑顔は素敵。
笑顔で過ごせることができるのは、とても素敵な事。
しかし。
「あなたには笑顔が似合う。」

→「笑顔以外は似合わない」
→「笑顔でないあなたは、本来のあなたではない」
この言葉ひとつ、呪縛となり得る。
誰の前でも弱みを見せてはいけないのだ、となってしまう。

笑顔ってね、素敵でない人なんて、いないんだ。
みんな笑顔が素敵。
だから、「いつでも笑顔」
そんなキャラ・ウリにしなくても、いいんじゃない?

笑顔が自然とわきおこる、その生き方があるからこそ、
笑顔が素敵な人と言われるのであってね。
もう一度言う。
どんな状態も、すべては自分。
人は、怒ったり泣いたり、イケイケモード・へこみモード、
その感情・想い・経験すべて、大切なもの。

自分に正直でない、というのは、その感じたことをに蓋をしてなかった事にする事。

・・・・

人生、何度か「悟った感」になる時があるだろう。

しかしそれは、辛いことを二度と感じなくなるわけではない。

様々な出来事があり、笑ったり泣いたり、それもなくならない。

ただ、その受け取り方が変わるだけ。

過去の出来事の意味なんて、生きている間にはいくらでも変わるもの。

そして人生のほんとうの最期の時が、

自分の人生の答え合わせの時。

あの人の分まで生きる」というけれど

そしてもうひとつ、よくある表現。

あの人の分まで生きる

これについても、こだわりを持ってお伝えしていること。

「あの人の分」は、生きれない。
生きれるのは、自分の人生、だけ。

その人の教え・想いをつなげたい!残したい!
その感覚や気持ちって、それは「自分」のもの。

それを素敵!って感じた、自分。
あの人の想いが、原動力となっている自分。

今の今まで、たくさんの軌跡があって、引き継がれた想い・いのちがまた大切に引き継がれてきて、その連続なのだと理解しています。
それを踏まえたうえで、

「あの人の想いを大事に抱えた【自分】」を生きている。

わたしは、そう表現する。

さいごに

言い換えると

何を感じようが、
わくわくであろうが、しょんぼりであろうが、
生きやすくても、生きづらく感じていても、
どう生きようが、
そこにいいもわるいもなく。

結局は、すでに「自分をいきている

そして
何をどう頑張ったとしても
「自分の人生しか生きられない」

それぞれの人生の中で、それぞれのステージで生きている人達が
同じところで交差するこの世界。

だからこそ、生きるというのは 面白いのである。