自分「立ち位置」とは。 ~自分の「ニュートラル」を知る方法と必要性~

自分の今の「立ち位置」とは。

動なのか静なのか。
発信側なのか受信側なのか。
被害者立場なのか加害者立場なのか。
上からなのか下からなのか。
揺さぶる側なのか揺さぶられている側なのか。
上がっているのか落ちているのか。

「自分の立ち位置」が分かるのは
「自分」がいて「相手」がいてこそ。

人は、たとえ集団のなかであっても
必ずその目の前の相手との
「立ち位置」が決まり「バランス」を取る。

いろんな面を知ると、時に
「どれが本当?」ともなるけれど。
どこにもウソも本当もない。
全部自分。

ただ。
その中の「ニュートラル」はある。

それを知るには
自分「感情」をとことん感じる。
それに尽きる。

・・・・・・・・・

人は。
揺らぎがある、ズレがある、遊びがある、キャパがある、
その基準は人それぞれ。

そもそも、自分の
「ニュートラル」な状態をご存知であるか?

ニュートラルとは
平常、中庸、穏やか、凪の状態。
力を入れてる意識・感覚はなくとも
しっかり立っていられる状態、みたいな。

自分のニュートラルを知っているとね。
たとえどこまで揺れる・ブレる・ズレようとも。
自分の揺れ幅も知っていると
結局大丈夫なんだ、
そう分かる時がくる。

でね。
このニュートラルを自分が把握していないと。

なんだか進んでない・動いてないと感じる時、
とても焦る事がある。
他の人はこんなに動いているのに、
自分が調子よかった時はこうだったのに、とか。

「凪の状態」、穏やかな状態を
停滞・成長していない・足止めを食らってる、
そんな状態と勘違いする事がある。

ついね、
自分の状態がアゲアゲ・イケイケの時が本来の自分!
みたいに感じてしまう事がある。
そんなニュートラルな状態が生ぬるく感じていしまう。

わたしの場合はね、
「ちょっと物足りない・動いていないのでは」
と自分が感じるくらいのところが、
実は自分にとってはニュートラルだった。

何かもの足りないと思っていた部分が、
なんだ、これでよかったんだ、とわかる瞬間があった。

でもね。
自分にとってのニュートラルを知ってから
いつでも安心して揺らげるし、
安心して停滞できる。

人は、常に振動・揺らぎがある。
一瞬たりともとどまり続ける事なんて
そもそもしていないのだから。

停滞してもよしとなるし、
アゲアゲは楽しい、しかしそれが
「上がった」ものならば無理には続かないと知っている。
気持が落ちだした時には引き際を見極める事だってできる。
停滞・進まないように感じる時も、
責めたくはなるがそれはそれとて受け入れる事ができる。

これはね、
ニュートラルにとどまり続けろ、ではない。

自分がニュートラルからはみ出さないように
しようとする方がしんどい。
そうありたいと必死にしがみついている状態になると本末転倒。

ニュートラルを知っておくと
自分が落ちようが上がろうが、全部大丈夫なのである。
ちゃんと戻れる事を知っているから。
すべて自分なのだから。

その揺れ・振り幅を楽しめばいい。

そして、その揺れがしんどくなったら
また調整していく、そうやって自然とバランスを取る。

その「バランス」
自分なりのちょうどいいバランスの取り方があるはずなのだ。

・・・・・・・・・・・

出来事はひとつ。
しかし、すべては
「受け取り側次第」

たとえば「頑張れ」
その一言だって。

時には力強い応援にもなれば、
時には人を追い詰める攻撃にさえなる。

それは
その時々自分の立ち位置次第。

そしてね。

ひとつの立ち位置を知るとね。
その対極・真逆の立ち位置も
知る時が必ずくる。
そう、わたしの場合は、必ず。

・・・・・・

自分の気持ちによって受け取り方が変わる例

例① 言葉
「やりたい事があるなら、行動あるのみ」
「やると覚悟を決めるのみ」

まさしく!と同調・自分も同意見を発信する側の時。
行動せずモジモジしている人にイラッ・攻撃的になる時。
その言葉を聞いて耳が痛い時。
その言葉に反発・弁論、別の視点からの解釈をしたくなる時。
それはその通り。そうでない解釈の話もわかるので口出しはしない。
その話題自体に興味が薄い時。
など

普段はあまり意識していなくても
自分がどこに共感して
どこに反発・怒りが沸くか。

発する相手との立ち位置・距離感、
自分は人を見下している・責めたいのか
人から攻撃されたと被害者の立場なのか、
どちらとも受け止める中庸にいるのか、
自分には関係ないフィールドだと感じているのか、

などなど。

人の観察が楽しいのは、
それによって自分がどう動くか分かるから。
結局、人を介して、自分を見ている。

「どうしてあの人は口ばっかりで動かないの?」
「やると決めたら動くのみ!」

と、

「どうせわたしなんて何もできないし」
「わかっちゃいるけど、できないんだ」

一見、お互いの立場・気持ちなんて
わかりあえない人種のように感じる。

でもね。

実はそれは真逆なんかではなく、
対極というのはつまりは延長線上・お隣同士なの。

・・・・・

文章・情報を発信する側に伝えたい事。

発信する側である以上、受け取り側である
自分のこころの動きを知っておくのはとても大切。

それを伝えておきたい。

なぜなら。

自分が言葉・文章一つ発信するということは、
必ずどこかに受け取り手がいるという事。

自分が言葉を投げかける立場だけであると
気付かなくなる時がある。
投げた先に「人」がいることを。

・・・

今、周りも
発信・行動・心の事・生き方在り方など
そんなテーマの人々が集う。

当然、ブログ等で発信される内容は
時にはデリケート・ディープな部分に触れるもの。

自分の意図していない反応だって示された人も
多々いると思う。
そんな反応されても困る・そんなのわかんねーよ!
という場合もあるだろう。

しかし。
それはあなたが投げたもの。
受け取り手は、好きに受け取っただけ。

でね。

必ず、自分の発した言葉の対極の立場も経験する。
自分の発したものが、人を通じて自分に返ってくる。
わたしの場合は そう。

そうして初めて気づく。
自分の発した言葉の意味・効力。
それを受け取った側の気持ち。

だからこそ。

より自分の言葉に責任を持つ。
より表現を気を付けようとする。
そして、本音であること。

・・・・・・

そこで「自分の感じる感情」を見ていると、
自分の今の状態がよくわかる。

人の行動や、人の言葉。
それが時に心地よく、
時に突き刺さり。

今はやたら人の影響受けているな、とか
今はちょっと発信・攻撃的なモードだな、
今は落ちているな、拗ねモードだなとか。

自分が人の言葉や行動を受け取って
揺らぐ体験をすればするほど、
自分の発した言葉に厚みがまだ
足りていなかった事なども気付かされる。

そうやってさらに
色んな感情を感じて
色んな立ち位置を知って。

そこから語る言葉に、表現するものに、
またひとつ 心が乗る。

そう感じている。

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