理想・目標を「意図・イメージ」できた時点で「できる」について。

「目標設定」
ビジョン・イメージが大切な理由。

料理で例えるならば「何を作るか」

・・・・・・

「今夜はカレーにしよう」
そう決めたらば。

カレーを作るのに
必要な材料や必要な手順が浮かぶ。

どんな味にしたい?
何にこだわりたい?

それがわかるから、
スーパーに行ったら、何を買えばいいかわかる。

材料をあれこれ変えたって、
どこのメーカーの、どの品質を選ぼうとも、
どれだけ材料を悩もうとも、
最終的にカレーになるのは分かっている。

たとえ買うもの・作り方を知らなくとも
その方法を調べる事ができるし
誰かに協力してもらう事だってできる。

つまり。

「カレー」を作ると「意図・イメージ」
するから、できる。

意図・イメージできた時点で、
それはできる。

ちなみに、「できる」といっても、
結果どう仕上がるかは別の話。

材料選びをとことんやるのか、
目に入ったぴぴっとしたもの選ぶか、
自分一人で作るかとか、
誰にお手伝いしてもらうか、
時間とお金をどこにかけたのか、
などなど

仕上がり(結果)は
自分のやった事・プロセス次第。
(自分ではどうにもできない範囲も含む)

言い換えると

カレーを作るか決めておかないと、
カレーにはならない。

適当にお買い物に行くと、
適当に目に付くもの買ってしまうよね。
また、妙にこだわったもの買ったとて
使いこなせなかったり。

ただ、応用が利くかせられれば
カレーもあり得なくもない。
その他の何にでもなるかもしれない。

また。
カレーを作るつもりでお買い物に出ても。

色々見ているうちに
「やっぱりシチューにしたい」
そうなるかもしれない。

それだって、目標が変わっただけで
「シチュー」と決めている。
つまり、選ぶものが変わるだけ。
結果、カレーではなくシチューができる。

・・・

「目標設定」
ビジョン・イメージが大切な理由。

人間、イメージできる時点で「できる事」。
イメージできない事は、できない、

つまりはそういう話。

・・・・・

で。わたし。

何度も「将来」が具体的にイメージ
できないと呟き続けているのだけど。

つまりは
「カレー」みたいに、
具体的に何を作るか
それが決まらない。決めたくない。
ゆえに、何ができても何も
仕上がった感がないのである。

作った感がないならば、何を作るか決めないと。
何が得意・好きがわかれば
何を作ればいいかも見えてくる。

しかし。
「何作るか」
それを決める・探すのを
一旦やめちゃう。

つまり。
何を作るか、それを決めずとも
自分の好きな材料・経過を経ると
結果何が仕上がるか?
それを見るのが目標になるのかな?

何かは作りたい。
おいしいもの食べたい。
提供したい。
ジャンル的には多国籍料理ではない。
カレーやシチュー、ラーメンもあり?
それよりも創作料理?
でも自分で作らなくてもいいのかな?

みたいな。

ただ。
やみくもに材料探しの時期は終わっている。
信頼できる人の元・面白い人の元に
転がっているものから選んで拾ってみようと思う。

そういう話。

・・・

※この目標設定と料理のたとえ話、
どこかで見かけた話なのだけど
詳細・出どころは忘れてしまった。
詳細も覚えていないので少々元ネタとは
ズレているかも。
なのであくまでわたしの解釈として。