「好きな人を好きでなくなった時」~がっかり・しょんぼり・イラッとしたら~

自分の好きだった人が
自分が好きじゃない人に
「変わった」と感じた時。

自分が好きだった人が
思った人と違ったと気付いた時。

自分の好きだった人を
もう「好きでなくなった自分」
に気付いた時。

がっかりする?
さみしくなる?
裏切られたと思う?
申し訳ない?

人は変わる。

それは、
相手も、自分も。

今回は、そんな話。

・・・・・

自分が素敵だと思った人が
いつの間にかそうでなくなったと
感じた時。

相手をよくよく知っていくと
自分が思っていたのと違ったと
気付いた時。

相手は変わっていないはずだけど
なぜか素敵だと思えなくなった時。
興味がなくなったり、
むしろイライラを感じるようになっていたり。

そんな時。
とってもがっかりしちゃうよね。
ものすごくさみしくなるよね。
申し訳なくも感じるよね。
あの時はしゃいでいた自分が
バカみたいに感じるよね。

・・・

そこにあるのは
自分の「期待」。

「相手」に何を期待していたか?
それによって感じる気持ちは様々。

今はさらっと書いておくが、
ここが一番根っこの深い所。
かつ、シンプル。

(紐解くと、ごくシンプル。
なのに、自分にとって一番
こっぱずかしかったりして
認めるのが怖いところだったりする)

あの人はとっても素晴らしい人!
あの人は素敵な人!
あの人なら信頼できる!
あの人と一緒にいると楽しい!

「そう感じていたその時の自分」
「その時、相手を好きでいた自分」
を否定された気になるから。

でもね。
「あの時」の自分と「今」の自分、
「あの時」のあの人と「今」のあの人、

すでに、同じじゃない。
違って当然。
まずは、そこに気付く事。

そして。
その場・その時点の「今」、
その相手を信頼していた
「自分を信頼」していると。

その後がどう変わろうとも、
怒りや悲しみは相手に向けなくていい。
自分を責める材料にしなくていい。

もちろん、怒りや悲しみはあっていい。
それは、その過去の時点の自分が
とことん信頼していた証。
とことん楽しんでいた証。
そう感じるのは、何かが変化した証。

でね。

変化・成長。
そこには
自分の都合、相手の都合、
それぞれある。
自分だって自分の人生の中で、
相手だって相手の人生の中で、
それぞれが勝手に生きているのみ。

そんなそれぞれを持った人達が
交わるのが人生。
だから、いくらでもすったもんだ
やりたければやればいい。

またね。
今も好きであり続けている事だって、
色々な変化の中で
自分自身がアップデートし続けた結果、
今もそうである・選択し続けてきている。

それだけの話。

・・・・・

人は、一定であり続けられない。
ほんの一瞬たりとも。

一定のように見えたとて、
一定ではい続けれられない。

人の細胞は、ある期間で
「すべて入れ替わる」と言われている。

赤血球だって、
皮膚や粘膜だって、
骨だって。
髪や爪だって伸びるしね。
(各臓器別、固有の代謝サイクルがある)

つまり。
ある期間と比べると
中身はすっかり別人。
それなのに
「同じ人」であり続けている。

またね。
四季があり
月の満ち欠けがあり、
寄せてはかえす波の動きがあり、
細胞・分子レベルでの振動があり。

すべてにおいて、
一瞬たりとも留まっているものなど、
存在しない。

かつ。
恒常性も持ち合わせている
(一定を保つ)
血液のPHも中性であり、
何かしらバランスが崩れたって
他でバランスを取り、一定に
保つことが事ができる。
(代償)

たとえば
イラッとした気持だって笑顔でいれば。
気持の変化を出さないように
することだってできてしまう。

だから。

変わっているのに、
変わらないようには見える。

変わらないように見えたって、
変わっている。

・・・・・

わたし自身、

好きになったら
信用したら
とことんくっついていくタイプ。

同じ話でも、興味があるものは
自分が解釈しきれるまで何度でも
聞きたい。

なのに。
一人にずっとはついていかない。
(お師匠さんに弟子入り的なものに
憧れるけど、結局できないタイプ)

散々聞いた話、
突然興味がなくなる事もある。

それは。
わたしも、相手も、
「同じ」であり続けていないから。

・・・

あの人は面白い・素敵、
あの人の考え方は自分と同じ、
あの教えは素晴らしい、
あの人といると学べる事ばかり、

自分がいいと思った事は
たくさん話を聞きたいし、
人にも伝えたい。

でもね。
ひとつだけ大切なことを伝えておく。

わたしがブログに綴っている事、
わたしが言葉として語る事、

それは「その時 その時点の今」の話。
「その時点」というのは、
すでに過去である。

だから。
たとえば
過去に書いてあるオススメが
「今」もおススメかなんて
保障はできない。

数年前であろうと、
昨日今日の事であろうとも。

またね、
今現在もオススメとて
「あなた」にとっていいかどうか、
それすらわたしは保証できない。

わたし自身
歩んできた経験が積み重なっていく。
必要な情報・体験・環境は変わっていく。
優先順位も変わっていく。
好みが変わっていく。
解釈・受け取り方も変わっていく。
生き方が変わっていく。

だからね。

わたしが過去に書き綴っている記事も、
あの時点で言っていた「素晴らしい」も、

その時の気持ち・その時の解釈にすぎない。

「今」もそう感じるか、
それはまた別の話。

ブログの過去記事も
今でもひっぱりだして使える記事もあれば
解釈を書き直して伝え直すものもあれば、
今は解釈変わったけれど、その過去のまま
置いておくものもある。

あの時読み漁った本も、
あの時救われたあの人の言葉も、
今ではちっとも響かない。

それでも。
その(過去の)時点で響いて
キャッチしてきた結果が、
「今」のわたしである。
それだけは、確かな事。

もし、わたしの過去記事や
あの時ああ言っていたな~、
それって今どうなの?
そう興味をお持ちの方は、
是非わたしに直接確認してみてください。

・・・・

つまり。

わたしが伝えたい事は
単に情報ではない。

選ぶのは、「自分」
「自分で」自分の「人生」を選択
「今」の選択の大切さ。

そんな話。

ちなみに。
そういう事もあって、わたしは
「情報屋さん」はできないな~、
そう思った次第であります。
自分がその時点でいいと思った事も、
今は違うと思うものもたくさんあって、
かつ、自分自身が興味なくなったものもあるから。

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