「看護師が患者さんの前で泣いちゃいけない」と言われる本当の理由

「看護師が患者さんの前でないちゃいけない」

看護師・医療者なら誰しも通る道。

患者さんの死に直面する場面で
悲しくなって、泣いてしまう事。

素直に泣いてしまった後、
先輩看護師に
「看護師なんだから泣いちゃだめ」
そう怒られた人もいるのでは?

泣いちゃダメなの?
でもそれって、人としてどうなのよ?
いつのまにか泣けなくなったのは
冷酷になってしまったの?
感情が麻痺してきたのかな?

様々な想いがあるとは思うが。

その理由を一言でいうならば。

「立ち位置の違い」
「立ち位置をわきまえる」

それだけの話。

・・・・・・

「看護師が泣いちゃいけない」

これね、ちょっと解釈がズレると。

仕事だから感情を押さえないといけない
とか、
やっていくうちに自分の感覚が麻痺して
悲しくなくなったとか、

そうやって、仕事を続けていくうちに
辛くなる場合もある。

でもね、これは。

いわば、自分の感情を押さえようと
する場面というのは、
立ち位置が「自分」だから。
悲しいのを押さえて仕事しなきゃいけない、
だから辛くなる。

自分の感情はね、抑えなくていい。
自分の感情は、とても大切なもの。

ただね。
その場の自分の立ち位置を明確に。

・・・・・

「立ち位置」とは。

言い換えると
その場の主役は誰か、ということ。

その場の自分の役割は何か、
という事。

「わたし」が主役になると。

目の前の患者さんが亡くなって
「わたしが悲しい。」

ひとつの出来事に対して、
意味づけ・抱く感情は人それぞれ。

亡くなった事=悲しい事、辛い事、
というのは、いわば自分の価値感・解釈。
自分の価値感として、
悲しい出来事として受け止めたから
自分の感情として反応している。

またね、ここで多いのが
「共感」と「同調・同情」の違い。

共感するってね。同情と違う。

共感とは。

あなたはあなた・わたしはわたし。

あたなはそうなのですね。
(わたしと意見が違っても、
あなたのそのままを受け取る)

同調とは。

あたなとわたしは同じ。

相手が悲しいのを、
自分も一緒になって悲しくなってしまう。


ボディーワーク・セラピストが
「もらう」という現象も、これ。

これは、相手と同じ立ち位置になっているから。

言い換えるとね、
相手の悲しむ場面を自分が奪う事にもなる。

たとえば。
自分がおいおい泣きたい時
目の前の友人がもっと泣いていたら。
途中でそっち心配しちゃうでしょ?
その時点でね、相手の主役、奪っている。

「患者さん・家族」が主役ならば。

目の前の患者さんが亡くなった事実は同じ。
もちろん、ベースの自分の価値観は
そのままでいい。

ただね。
自分の価値観を相手に持ち込む必要はない。
勝手に悲しい出来事と位置付けてはいけない。
相手が悲しんでいるのに違う意味づけを
させようともしなくていい。

その価値観を持ったあなたが、
目の前の患者さん・そのご家族を目の前にして
その相手に、今何が提供できるのか、
今すべきことは何なのか。

「看護師としてのあなた」

がどう在るのか。

看護師が泣く事、そのものに
善し悪しはない。

ただね。

看護師として、
医療者として、
仕事として、
技術を提供する者としての
立ち位置。

主役は患者の立場である
目の前の相手。

・・・・・・

時にはね。

そんな立ち位置を超えて
一緒に泣き笑いすることだって
ある。

「あの時看護師さんが一緒に
泣いてくれたのが嬉しかった。」

そう言われる事だってあった。

そこにはね。
わたしは立ち位置なんて
どっちでもいいと思っている。

結局、どの立ち位置であっても
「わたし」であるのは変わりないのだから。

そこは、その相手と歩んできた
人間関係・信頼関係ありきの話。

どんな時泣いていい、ダメ、
そんなマニュアルなんか必要ない。

人と人との話は
関わってなんぼ、経験してなんぼ。

泣いても笑っても、
自分がどう受け取ったか。
そこを大切に。