わたしが「生きるのを諦めた瞬間」

わたしは、これまで本気で
「死にたい」
と行動したことはない。

そんなわたしだが、
一瞬だけ、
ほんの一瞬だけだけど、

生きる事を「本気で諦めた」事がある。


今回は、その話。

・・・・・・・

なんとなく

「生きているのは面倒だ」

というのはずっと感じていた。

しかし。こわがりなので
死ぬ気なんてさらさらない。

それでも、どうやったら
苦しまずに、
確実に、
なるべく汚さないように、
なるべく迷惑かけないように、
なんて、そういう方法論には
とても興味があった。

昔から、夢や希望は語れない子ども。

大きくなったら何になりたい、など
「未来」に対する希望も夢も
イメージできない子どもだった。

これから何をやりたい?ではなく、
何のために生き続けなければならないのか?
そんな事を考える方が多かった。

そういう意味では、わたしは今も昔も
変わらない。

・・・・・・

とある日。
小学生だったが、何年生だったかは
全く覚えていない。

わたしは、首を絞められた。
今思えば、単なる子どもの喧嘩の
延長線上。

でもね。
この時思ったんだ。

「あ。このまま抵抗しなかったら、
この生活、終われるんだ。」

「もう、終わりにしたい」

「終わりにできる(安堵感)」

だから。

抵抗する事をやめ、身を委ねた。
相手も「本気」だとわかっていたから。

そして、
自分でうっかり息を吸わないように、
自らも息を止めた。

時間にして、きっとわずか数秒。

結局、「苦しい」から、抵抗した。
本気で振りほどいた。

それだけの話。

・・・・

ちなみに、
細かいシチュエーション、
前後の経緯は全く覚えていない。

相手の表情すら、映像では浮かばない。

天井は見ていたはずだから、
たぶん馬乗りになられていたのかな?

覚えておかなくていいものは
しっかり忘れているだけだと思う。

しかし、確実に覚えている事がある。

その瞬間、相手の目は「本気」だった事。

わたしが一瞬、「生きる事を諦めた」事。

そして。

事が終わった後

「生きててよかった」
「怖かった」
の云々は一切なく、

もしこのまま死んでいたら、
母親は悲しんだろうな、
とか
うっかり殺した側は、この後
大変な事になるんだろうな、
この後の展開はどうなって
いたのだろうか、
とか。

そんな事を思っていた事。

それだけは、ちゃんと覚えている。

・・・・・・・・

こんな話を書くのは「自分のため」

今まで、割と「大したことではない」
と思ってスルーしてきた事が沢山ある。

自分の人生、人と比べて
ドラマチックに・大きな転機・挫折話が
あるわけでもなく、
ほどほど苦労はないと思っていた。

こんな話もたかだか子どもの喧嘩、
人に話すには大げさなんじゃないかな、
と思っていて、
これまで誰にも話してこなかった
事のひとつ。

「たいわ」を学び気付いた事は。

自分が自分を大したことのないやつ
だとしていた事。

大げさに取り扱わない事で
守ってきたものがある事。

今まで大したことないと
思ってスルーしていた事も、
向き合う時だと感じたならば、
そろそろ向き合い時。

そう思って、この手の話も
書いていこうと思う。

ただね。
自分の過去の話はいくらでも
ネタにできる。
しかし、それに関わる人の
プライバシーにも触れる事は
書けない事だってある。

また、
わたしがネタとしてオイシイと
思っているもののうち、
明らかに親を悲しませるものだけは、
今はまだ書かないと決めている。
それもいつか、ネタとして笑ってくれる
かな?となったら書くかもしれない。

・・・・・・

実際に開示しだして思う事。

自分にとって大したことない、
わざわざ開示せずとも自己完結
できていたと思っていた事も、
そうではなかったのかもしれない、
と気付く事ができる。

また、
自分の話に共感してもらえることが、
その人にとっても、
わたし自身にとっても
気付きのきっかけであり、
癒しになるという事。


たとえば、
公開お悩み相談とか質問コーナーって、
人の悩み・意見、答えもすべて
自分のものとして受け取れる。
ブログも、そのひとつ。


だから。
わざわざ誰のための発信しようと
思わなくとも、
自分のためにやりきれば
おのずと誰かのためになるのだと
思う。

・・・・・・・・

ちなみに。

大人になってから一度、相手と
この話をした記憶がある。

「あの時、俺も本気やってん」
奴は、確かにそう言った。

それを、飲みの場で笑い話として
交わす事ができた日も、
すでに遠い過去の事。

生き続けていると。
全てが自分にとって大切な
「ネタ」となる。

それだけの話。

そして。
「この生活、終われるんだ」
そう安堵した瞬間のあの時の自分を、
わたしはぐいっと抱きしめてやりたい。

今も昔も、
求めているのは、それだけの事。

わたしの生き様の変化はこちら。

生き様は、見た目・雰囲気に表れる! わたしの人生での証明。
(2016.5.23 のブログのリメイクです) わたしが、「人を診る」時の指標の一つ。 「見た目」 といっても、ただの造形の事ではない。 今回は、わたしが人と接...

そんなわたしが、今「毛玉姫」と名乗って
人生ひっそり楽しんでいます(笑)
ご相談等はこちら。

http://namonaki.net/page-90/page-8/