わたしが「平和の為に笑顔」を使ってきた理由。

「いくら笑顔であっても、自分を誤魔化す為に使うと、自分を取り繕っているのと同じです。平和の為に笑顔を使うのは辞めましょう。」

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先日、「奄美るかさん」という方が
時折facebookで「無料公開リーディング」
というものをやってくれる。

ちょっと思うところがあり、
タイミングよくお願いできた。
(いつも、一瞬で埋まってしまう)

その時のメッセージ。

「平和の為に笑顔を使う」かぁ・・・。

「自分をごまかす」というキーワードは、
わたしにとって、一番痛いところ。
スルーするわけにはいくまい。

思い当たる節はある。
最近、対人関係において
自分が「ひるむ・ビビる」場面がいくつかあり、
それをちょっと相談していたところ。
(基本、ビビリです)

対人関係において
人は自然と互いに「バランス」をとる。
わたしは、「強い」人からの影響を
受けやすい。これはすでに自覚済。

「怒っている人」と出会うと、
わたしが「ひるむ側」になる。

そんな時。
こわがりなので、怒りを助長したくないし、
かつ、
自分の気持ちや考えも伝えるためには
自分の動揺を出さないように笑顔を
保つ。

しかし、どうやったって、自分は
ひるんでいる事を自覚しているので
顔がひきつっているのがわかる(笑)

さて、今後どうしたもんか?
と思っていたところ。

で。

その後に
思い出したことがある。
わたしが、平和のために笑顔を作る理由。

それは

自分の身を護るために。
自分の大切な人が、殺されないために。
自分の大切な人が、人を殺めないために。

======

わたしは、あきらかに「平和主義者」。

争いが怖い。
喧嘩が怖い。
怒鳴る人が怖い。
怒られるのが怖い。
まくし立てられるのが怖い。
責められるのが怖い。
八つ当たりされるのが怖い。
大きな声・大きな音が怖い。
逃げられないという場面が怖い。
殴られるのが怖い。
瞬間的に人格が変わる人が怖い。
爆発物が怖い。

・・・怖いものを挙げたら、キリがない。

・・・・・

わたしにとって、
「平和のために笑顔」が必要な時。

その基準は

身の危険が及ぶかもしれない時
より面倒くさい事になるかも知れない時
「自分の大切な人」に影響があるかもしれない時。

わたし自身、好き嫌いが
はっきりしている。
だから、
嫌いな人に嫌いと伝えて
嫌われる事自体は、何の躊躇もない。

むしろ、メンドクサイからと、
遊びに来た友達すらも
堂々と追い返す子どもだった。

しかし。

時に「正直すぎる」というのは、
人からみると「攻撃」になり得る
事がある。
うまくいかそうと尽力している人の
邪魔をすることがある。

自分の正直な想いを伝える事で
相手の怒りを挑発してさらに危害が及ぶ、
より面倒になると判断した時は、
ストレートに出さないようになった。

そうやって、いつしか
自分の「怒り」や想いを
出さないようになっていった。

・・・

「たいわ」を学んだ今、
自分に湧き起こる「感情」は
すべて大切・いいわるいはないと
ようやく気づいたわけで。

自分の感情をダメだと裁き、
怒りを蓋にして、本当に感じたくない
感情・想いが奥にある事もわかった。

だからこそ、「怒り」という感情は
「人にぶつける」ためのものではなく、

自分にとって、大切なものに気付くチャンス
だと思っている。

・・・・・・

売り言葉に買い言葉。

「怒り」は、いくらでも煽って助長
できる事を知っている。

時には人の感情なんて、いくらでも
利用できる事も知っている。

怒りとは。
ものすごいエネルギーがあり、
物事・行動の原動力でもある。

しかしね。
本来の目的を見失って、
「争う事そのもの」に
集中してしまう事がある。

それほど、
怒り・争いのエネルギーとはすごいもの。


すべてが終わった後に、ふと気づくんだ。

何のために争っていたんだっけ?

その争いの後に残された残骸の中に
はたして自分が争ってまで手に入れたかったものは
残っているのだろうか?

そういう場合もあるだろうが、
わたし自身、そこまでして残るものは
ごく限られていると思っている。

本当に必要は事は、
多大なエネルギーを使って争う必要はない
むしろ争う事で失うものが大きい、
と思っている。

・・・・

もちろん。
「本気のけんか」は大切だと思う。

本気のけんかとは。

相手を傷つけるためではない。
相手をわかりたいから、
自分をわかってほしいから。

喧嘩という形になるのは
腹を割って、本気で伝えあうからこそ。
自分を信頼してこそ。
相手を信頼してこそ。

言い換えると、

自分も相手も、本気でなければ、
本気のけんかに至らない。
自分のエネルギーと時間を、
そこに全力注げるというのは、
とてもすごいこと。

ちなみに。
わたし自身、過去に
「この人とは本気のけんかができない」
と、とてもがっかりした事がある。

自分の伝えたい事がある、
相手の想いを知りたい。
しかし、これ以上伝えても
相手は逃げるだけ・追い詰めるだけ。
そう思った時

「この人には本音を語れないんだ」
「この人は、わたしに本音を語ってくれないんだ」
「この人とは本気の喧嘩すらできないんだ」

つまり。

わたしが相手を心底信頼できていない事、

泣いてわめいてでも相手に伝えたいものがないという事、

身を削ってまで相手とわかり合いたいという覚悟がないとい事。

・・・・・・

というわけで、
わたしはビビリの平和主義者。

そして、人の影響を受けやすいタイプ。

だから、はっきりいうと
「怒っている人」は苦手。

しかし。感情としての「怒り」の
大切さを知っている。

だからこそ。
自分の経験と想いをもとに

「想いを伝える」と「感情をぶつける」
の違いや、
「怒り」の蓋の奥にある
本当の気持ちとはなんぞ、
にフォーカスを当てた話をする。

そのために。

あらためて自分と向き合うテーマも
ここかな。

◆公開リーディングでメッセージをくださった
「人生を変える薔薇の魔法師・霊能師」
奄海るかさん

「奄珠堂」HP
http://blog.enjyudou.com/