いわゆる「スピ系」と、そうでない人の話が通じない理由。

今や巷では
「スピ系」という言葉が一般的になってきた。

しかし。

いわゆるスピ系と、そうでない人がいて。
極端になると
話がまったくかみ合わない。

友人知人・身内など、とても近しい間柄
でも、これでもかというくらい、
全く通じない事がある。

それはなぜか?

その話を。

・・・・・

「ヒト(人)」とはなんぞ。

「ヒトとはエネルギーとモノの融合体」

目に見え、触れられる「モノ・物質」であり、
(肉体)
目に見えない、触れられない「働き」があり、

その両方が合わさって、「ヒト」となる。

「いのち」って 何?
「死ぬ」って 何?

肉体が「ある」のに生き続けられないのは?

それを説明するには
目に見えない「働き」の話が必要。

その説明がつくものが
「東洋医学」
だと、わたしは感じる。
(ちなみに、これもピンキリである)

いわゆる
「東洋医学」とは。

その「ヒトとはなんぞ」を

「宇宙」「四季」(自然)

のつながりから紐解いたもの。

・・・・

スピ系(スピリチュアル)
精神論、波動、愛、宇宙、霊、自然、
そんな話が好き。
右脳派・感覚タイプ。
いわゆる目に見えない世界。

根拠・データ、結果を求める。
見えないもの・実証できないものは
「ない」とする。
至上主義。
左脳派、論理的。
いわゆる目に見えるものが全て。

「物質」(目に見えるもの)と
「働き」(目に見えないもの)は、

それぞれの「対極」にあるもの。

※五行の話でいうと
「木(剛)」タイプと
「火(虚)」タイプの話。

つまり。

そもそもの論点が違う。
解釈が違う。
切り口が違う。
話の方向性が違う。

そして、対極にあるがゆえ、
お互いに「苦手」なのである。

だから、話が通じないし、
その前にシャットアウトしてしまう事も。

しかし。
押さえていただきたい事がある。

「対極にある」というのは

言い換えると

「対」(ペア)である、という事。

表裏一体という言葉の通り、

表があれば裏がある。

上があるから下もある。

それが「陰陽」の話。

つまり。

「対極」「対」とは
「両方ある」ということ。

一方からの話だけで論じても、
どちらが正しい・間違っているという
主張にしかなりえない。

・・・・・

肉体は、
物質として「ある」と言える。

では、「いのち」「死ぬ」とはどういう状態?
肉体があるのに生き続けられないのは?

この話を紐解くには、
「五行」の話がとてもわかりやすい。
(木火土金水(もっかどごんすい))

こういう話は好きなのに、
今までは「難しい」と思っていた。
本を読んだり講座にいっても
覚えきれないので、
結局ちょっとかじってみた程度で終わる。

しかし。

当てはめ・暗記ではなく
「働き・つながり」として理解すると
こんなわかりやすいものはない、
そう思う。

◆過去関連記事

「東洋医学「五行」から。わたしの性格・行動パターンと、大切にしているポイントの話。 」
http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12167985635.html

「「人を診る」ということは、こういう事。 わたしは「火」と「木」の女。」
http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12164778167.html

・・・・・・・

「いのち」は、目に見えない。

それでも
「ある」事はみんな知っている。

形のないもの・目に見えないもの。
それは、
見えないけれど「ある」もの。

目に見えないからといって
「ない」という証明にはならない。

言い換えると、

そもそも
目に見えず、形もないもの。

つまり、
みんな「同じ」ではない。
「正解」がない。

表現が 違うだけ。

たとえば。

「愛」「愛がある」

「ある」といっても、物質の事ではない。
しかし、「愛があると証明」するならば、
人は相手に対して何かしらの行動や形に
表現するだろう。

毎日ご飯を作る事が愛だったり、

プレゼントを贈る事が愛だったり、

愛していると言葉で伝える事が愛だったり、

嫌われても厳しく伝えるのが愛だったり、

何も言わずそっと見守っているのが愛だったり。

そして。時には、
「形」になるがゆえ、
その「ある」ものが「ない」とされて
しまう事がある。

愛してるっていうけど口だけでしょ?
何も言ってくれないなんてどうでもいいと思ってるの?

しかし。
その時に自分が気が付かなかったとしても、
後になって「ある」と気付く事だってある。

いわば、
自分が「ある」と気付けば「ある」。

それは、「その時・過去」の出来事だった
としても、「ある」と気付いた時点で
何度でも受け取れるもの。

また。

気が付かなくて「ない」と思っていても、
「ない」という証明にはならない、
という事。

・・・・

自分の「感覚」や、見えない「働き」を
可視化し、人に伝えるという事は
とても難しい。

わたしが「りんご」を食べ、
「りんごとはどんな味」なのか、

それを伝えるのは難しい。

「甘かった」
「おいしかった」

それだけでは、伝わらない。

甘みの質を伝えるならば、
梨と比べてどうか
白砂糖と比べてどうか
などの説明や、

甘みの強さを伝えるならば
みかんやトマトで比べて
糖度値はどのくらい、とか

食べた時の気持ちを話す
表情や身振り手振りなんかも
表現の一つ。

できうる限りの近い言葉・表現
を探す。

そしてさらに難しいのは。

りんごを「食べた事のない人」に
いくら説明をしても、その
「感覚」は伝えれない、という事。

「食べたことがない」人が、
どんな味か知りたくても、
実際に食べてみる以外に
伝わる方法はないのである。

りんごを「食べた事のある人」に
伝えるならば?
たしかに伝わりやすい。
しかし、
その人がその時食べたりんごと
あなたが今食べたりんご、
同じ味とも限らない。

・・・

いわゆる「感覚派」という人は、
「感覚を感じる」センスにたけている分、
数字やデータ、言葉での表現が苦手な
場合もある。

なぜかというと、
感じた「感覚」をどう頑張っても
100%「そのまま」伝える事ができないから。

伝えたいけれど、「表現」した時点で
感じたものとは「違うもの」になる。

いくら言葉を重ねても、
自分の感覚が伝えきれない。

また。

自分が感じた「感覚」を、自分が納得できる
「表現」ができたとしても。

それを受け取る側が、
自分が受け取ってほしい形のまま
受け取れるとは限らないから。

それは、とてももどかしいもの。

そこに「諦め」を感じたら。
伝えるのを諦め、口をつぐむ。

わたしが思う「芸術」とは。

自分の内なる「あるもの」を
目に見える形にするための方法。

それぞれの得意な事・好きな事を
活かせる媒体を通し、

内に秘めた自分にしかない感覚を
できうる限り純粋な表現をする。

そのために、
とことん自分と向き合う事や
できるだけ純粋な表現できるための
スキルと経験も必要となる。

数字や物理学だって、
いうなれば見に見えない「働き」を
数式に置き換え説明するもの。

(りんごが木から落ちるという現象、
風が吹いて木の葉が揺れるという現象、
そこから紐解くもの)

つまりは。

相対するもの・対極のように見えていても、

見ているもの
感じているもの
伝えたいもの

結局その「本質」は、同じという事。

ただ、その方法や切り口、解釈が違い、
得意不得意や好みもある。

それだけの話。

・・・・

まとめ。

ヒトとは。

生まれ持った肉体・気質にも
それぞれの特性がある。

誰しも
全く同じ肉体・環境を選んでは
いない。

ゆえ、得意不得意がある。

肉体を持ちうまれてくる意味。

得意なことも、不得意な事も、

いいも、わるいも、

その肉体であるからこそ経験できる
人生を歩むため。

すべては「肉体」があり、
その肉体が「働く」から

体験できる事。

感じる事が苦手、

伝える事が苦手、

考える事が苦手。

苦手にフォーカスせずに
得意を追求する人生だっていい。

苦手を克服するために人生を費やしたっていい。

それすら、
その「ヒト」でなければ体験できない
事だから。

・・・・・・

わたしがこういう話を学んできたところ
◆「セラピーオフィス ラ・サルーテ」

http://la-salute.cdx.jp/

◆「寺子屋お産塾」

http://www.kyoto-terakoya.jp/

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http://namonaki.net/page-90/page-8/