「自分の好きがわからない」「いざ、好きにしていいと言われたら戸惑う」大人たちへ。

「好きな事を仕事にする」

「好きな事だけして生きる」

今や、色んなところで
話のテーマとなっている。

今現在
「好きな事をやって生きてない」
「我慢している・無理に頑張っている」
「なんとなく生きづらい」
「このままでいいのか?」
「でもどうしたらいいかわからない」

そう感じ、気付いた大人が
それだけたくさんいるという事。

・・・

ここを紐解くと。
必ず関連するのが
「生育歴」「教育」の話。

親や周りの大人になんと言われてきたのか。
どう対応されてきたのか。

いわば、

自分という存在を
認められてきたと感じているか。
自分の人生を、自分で考え
自分の意思で選択してこれたのか。

・・・・・

「さつきやま森のようちえん」の園長で、
かつ、世界のツアーガイドさんで、
他にも施術もでき講座もしているという
「木村太郎」さんのお話を聴く機会があった。

その中で印象的だったのが

~(一般的の)小学校は楽だよね。
座っているだけで全部してくれる。
国語、算数、と授業(やること)決まっているから
考えなくていいから楽だよね。~

※一般的な小学校に入った方の感想
文章は抜粋ではなく、
わたしがこう聴いたという解釈

・・・・

今の主な学校教育は
「考えさせない」ための教育。

教育が充実しているはずの日本なのに、
なぜ経済学や帝王学など教えないのか?

皆が規律に則って同じ事をできる事、
早く正確にできる事、
口答えしない、従順な事、

学校で褒められる・評価されるのは
やはりそういう面ですよね。

こう書いてしまうと極論になって
しまうけれど。
それでも表現はあながち間違いでも
ないと感じている。

なぜなら。
自分を含め、今出逢う、今の大人世代が

「頭で考えてばっかりなのに、迷っている」
「自分の好きすらはっきりわからない」
「100%幸せ!と言いきれない」

こぞって口にするではないか。

そこからの大きな違いは、
不平不満を吐き諦めているのか、

気付いたら動く・学ぶにいくのか。

これまでの学校教育の在り方が
「正しい」とされるならば。
果たして「誰にとって」「正しい」
のだろうか?

「正しい」を「都合の良い」に変えても
いいかもね。

そういう視点で見るとね、
世の中の仕組みとは、一部の人のために
とても上手にできている。

そういえば最近。
SNSのとある投稿にて見かけたが

まだ掛け算を習ってない学年の子が、
掛け算使ってテストで正解答えるも
「不正解」扱いに。
理由は「まだ習っていないから」
なんだそう。・・・

言い換えると。

今現在、
人生楽しんでいます!と言い切れる人、
好きな事をして生きている人、
日本中・世界を股にかける人、

そんな人達に共通するのは

誰かに作られた「枠」ハマっていない。

自分の「好き」をとことん追求・妥協しない。

「仕事のため」に生きているのではなく、
好きな事突き詰めた結果、仕事に
つながっているだけ。

・・・・

「自分で考えられない」とは
どういう事?

自分なりに考えてきたつもり。
考えていないはずはない。
むしろ、頭で考えてきた事ばかり。

でもね。

「自分の好きにしたらいいよ」

そう言われたら
逆に戸惑う人も多いのではないだろうか。

それはこの方の記事をご参照

◆森へ行こう(心とからだと子育てと:篠 秀夫さん
「広い世界に出ていこう」
http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201611050000/

・・・・・

「自分の好きにすること」

と、

「わがまま・自分勝手・他人に迷惑」

ここの違いがわからず悩む方も
多いかと。

だってね。

これも、散々「教育」「しつけ」
として教えられてきたから。

「自分の好きにすること」と
「わがまま・自分勝手・他人に迷惑」、

解釈次第で、同じにもなってしまうし、
違うと言いきれる。
それを伝える大人側が、
その物事の本質をとらえて
伝えられていた人って
どれほどいたのだろうか。

自分も大人になってね、
あの時親も大変だったね、とか
大人も完璧でないんだ、

あの時の大人の発言に傷ついたけど、
実は誤解だったとか、

自分も大人になったからこそ
気付く事ってあるよね。

だから。

「あの時・当時」
言われてきた事・教えられてきた事が、
「今もずっと同じ」とは限らない。

「実はあの時間違って伝えていた」

「あの時伝えた事と、あなたの受け取り方が
違っていただけ・誤解だよ」

「あの時はそうだったけど、
今はそうでなくていいんだよ」

「あの時の言葉の重みを、今より感じる」

などなど・・・。

出来事は一つ。
受け取り方は、受け取る自分次第。

そして、解釈は何度でも変わる。

自分の人生、
自分にとっての都合の良い方に、
自分がより生き生きと過ごせる方向に
変えて いい。

・・・

「今やりたいことが一番目」を合言葉。

「さつきやま森のようちえん」には
カリキュラムが一切ないのだそう。

子ども自ら考える。
能力は育てなくていい、
余計なことはしなくていい、
すでに持ってるものを生かせる環境を提供。

何をしてもいい、何をしなくてもいい。

ただの机上の空論ではない、
実践・経験、そして「在り方」から
伝える話。

・・・・

わたしが伝えたい事。

こういう話を今知って。

「こんな教育のせいで」
「教育が悪い」

そうやって、周りにぷんすかする
ための材料にしてほしいわけではない。

これに気付いたら「できる事」が
ありますよね、という話。

そして。
世にはこのように、
人としての在り方・本質を伝えられている
大人がすでにいるという事。

探せばいくらでも情報があるということ。

「ない」と思ったら、「自分で作る」人が
いるという事。

というわけで、
今度乗り込んでみます。

(∩´∀`)∩乗り込むのはただの趣味。

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「たろーさんのお話会」にて。わたしは毛玉の着いた服で乗り込む!

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太郎さんは、ちょっとペルー人っぽいシュッとした日本人。

◆さつきやま森のようちえんのブログ

「自由な幼児期を過ごして、公立の小学校にあがったとき大丈夫なんですか?」

http://ameblo.jp/morino-youchien/theme-10049225895.html

わたしはこういう話を色々聴いたり、
こういう方々とつながりを持ちに行っています。
そういうお話を聴きたい方はこちらへ。

http://namonaki.net/page-90/page-103/