「ぬるま湯につかる」 ~どんな意味で使っていますか?~

「ぬるま湯につかる」とは。

これといった不快な刺激を
受けることもなく居心地がよい、

甘んじている、楽している、
居心地が良すぎて動けない、

のような意味で使われる。

その言葉について。

寒い時期のお風呂とお布団と
ひきこもり生活からうまれた
東 舞香的解釈。
(*‘∀‘)

・・・・・

居心地が良すぎて動けない、
のではなく。

「ぬるい」と感じている時点で、
すでに「居心地が良くない」
と感じてるわけで。

という事を
お風呂で例えてみる。

熱め、もしくは適温の中にいた

からだがあたたまってくる
お湯が少し冷めてくる

さっきまで適温で心地よかったけど
ちょっとぬるく感じだした

ぬるい=思っているより温度が低い

外気温の方が寒く感じる
温まっていたからだが冷えはじめる

お湯的ぬるいけど、
外に出るよりは温かい

このままいたらもっと冷えるのが
わかっている
でも、今出てもちょっと寒い。

まだ出たくない、
しかしいつかはでねば

出ると決めて自分で出る。
勇気をもっての一歩

ぬるま湯から一歩でたら
一瞬は寒い

さすれば、次のやるべき事をやるのみ。
(体拭いてお着換えして、ごはん)

・・・・。

つまり。

「動く」って決めて行動しない限り、
そのままぬるいお湯の中。

ぬるい、と気が付いてからも
さらに温度が下がってくる。
そこに気付くと、
そのまま居続けるほどに居心地が
よくない事が見えている。

出ようかな、もうちょっと?
タイミングを外すとしばらく
動けなくなったり。

どんなタイミングでも、
動くための初めの一歩は
決まっている。
それは
「動くと決める事」。

・・・

また。

居場所を変えるだけがすべてではない。

その場に留まるにしても
できる事がある。

たとえばね。
「追い炊き」するとか。

このスイッチをぽちっと押せば!
またお湯が温かくなる!

からだがしっかり温まりさえすれば。
湯船の中も外の冷たい空気も
怖くないよね。

しかし、この追い炊きするにも
勇気がいるかもしれない。

その温度がちょうどよかったり、
それすらちょっと熱めだったりと、
追い炊きして欲しくない人だっている。

孤軍奮闘・突っ走るも よし、
一緒にいる人を巻き込むも よし、
気付かれぬようこっそりやるも よし。
あるいはぬるいお湯でも楽しめる
ようにしてみるのも よし。

言い換えると、

置かれた環境で咲くもアリ。
置かれた環境を変えるもアリ。

・・・・・

でね。

たとえば、

「今の職場は
いい人ばっかりでお給料も安定して
時間も自由で好きにできています。」

という時に「ぬるま湯」と使う場合。

ぬるい・生ぬるいって、
足りない・弱いって意味が含まれる
と思う。

本当に心地よくて申し分なく満足
しているならば。
「適温」でいいんじゃないかな。

自分にとって最高の環境で過ごせる
なんて、とても素敵な事。

謙遜や卑下する表現はなくても大丈夫。
素直に表現すればいいんだと思う。

・・・

そして。

「安定して、好きな事やって満足、でもね・・」

続きに「でもね・・・」
の気持ちがあるならば。

それは何かウズウズしているサイン。
そのサイン、気付いていますか?

・・・・・

・・・というたとえ話を、
お布団の中でもぞもぞ
しながら思いつく。
(´ぅω・`)ネムイ

なので。ついでに、
お布団の中のバトルで例えてみる。

目が覚めた。お昼前。
特に急いで起きる用事はない。
まだまだ布団の中でまどろんでいたい。

でも。
お布団の中だけど、なんか寒い。
でも、もうちょっと布団の中にいたい。

寒いので、きゅっとくるまっている。
ちょっと力はいって寒さを我慢している。
起きて動いた方が確実に温まる。

でも!だって!まだ出たくない!
せっかくまだころごろできるのに。
もうちょっと「我慢」する。

・・・・おしっこいきたい。
(´・ω・`)ウ・・・
・・・・お腹もちょっと空いた。

やる事あるけど、急がなくていいし
もうちょっとお布団に居たい。

一度トイレに起きると
もうお布団に戻らなくなりそう。
もうちょっとお布団を楽しみたい。

「寒い、トイレ行きたい、お腹空いた」
「お布団にいたい」
この気持ちのせめぎ合いになる。

そんなこんなで
いつのまにか目は覚めている。
状況はお布団の「快」よりも
「不快」の方が大きくなる。

しかし、「お布団に居たい事が目的」
となっているから、「我慢」が発生中。

あー、このたとえもブログネタになるなー、
そんなことをいつの間にか頭で分析中。

すでに、お布団の中にいる心地よさを
噛みしめられなくなっている事に気付く。

しゃーない。ブログに書くか。
トイレもいきたいし、寒し、起きるか。

感じた事を認め、
(トイレ行きたい、寒いなど)
次にやる事が見え、
(トイレ行く、ブログ書きたいなど)
それまで大切にしていた事よりも、
(お布団でぬくぬく)
「今」「次」のための選択へ。

起きる覚悟を決める。
起きると決める。
起きる。

やっとこさお布団脱出。

しかしそこに後悔はない。
(戻りたかったら戻るし)

・・・なんてね。

引きこもり生活パターンも
こうやってネタとなる。
(*‘∀‘)うふふ

・・・・・

自分の状況を「ぬるま湯」を表現すると
いう事は。
どれだけ世間的にいい条件・安定が
あろうとも、
自分にはそろそろ「居心地よくない」
と言ってるようなもの。

「ぬるい」と感じだしたら。
ささっと出るもよし、
そのぬるさもとことん感じるもよし、
その場でできる事をやるもよし。

目的が「その場にいること」になるとね。
からだも気持ちもどんどん頑なになり、
ひっこみがつかなくなる事も。

次への行動により踏み出すには
より気力を要するようになっていく。

・・・・・

人は。
不安定な時は安定を求めるのに。
いざ安定し続くと、
このままでよいかと不安になる。

「安定」を
「向上がない」「成長がない」
という意味で使うなら。

人間にとっての本当の安定なんて、
いつまで経っても至らない。

階段でたとえると、
たまに出てくる踊り場。

昇って昇って昇って、
とある時に到達する踊り場。
その場を楽しみ一休みしたならば。
また踊り場を離れ、上へ上へと
向かい続ける。

「安定」を
「刺激がない・面白くなく」
という意味で使うなら。

刺激のない「安らぎ」を、
恐れとして感じるかもしれないね。

・・・

わたしは想う。

本来求めるものは
環境・状況の安定でなく、

その場にいる、
あり続ける自分自身の「安定」。

今の居場所の居心地が悪ければ、
動いてもいい。
その場を選びたいのであれば、
場を動かずとも行動・その場の環境
を変えてもいい。

すべては、何を選ぶ?何を行動する?

自分自身が安定していると。
多少の環境では屈しない。

しかし。
自分にとって居心地のよくない状態に
長く留まり続けると。
いつの間にか消耗し、
自分自身を発揮できなくなっていく。

環境の安定ではなく
自分自身の安定のために。
自ら選べるものは、
すべて選んでいけばいい。

・・・

でね。

人も。自然も。

どうあがいたとて、
一定ではあり続けられない。
すべては常に動き続けている。

生物・自然・この世にあるものはすべて
振動し、揺らぎ、移り変わり、巡るもの。

季節も、海の波も、月の満ち欠けも、
からだの細胞の分化・循環だって
一時たりとも止めれやしない。

同じように居続けているように見えたって、
かならずどこかは動き続けている。

また。
人の一生・サイクルを
植物の成長にもたとえられるように。

種まきの時期から
土の中でじっとしている時期、
芽を出し花が咲き実になり、
やがてまた種となり広がる・・・

どの時期もすべて必要なプロセス。
一見動きのない・意味のない・停滞のように
見える事でも。
内なる部分では常にダイナミックな
動き・変化があるわけで。

つまり。

どんな環境でも。
どんな気持でも。
どんな自分でも。

自分という存在として
常にあり続けている。

だから。

大丈夫。