「お友達作り」がハードルが高いと思っている方へ。

結論から言うと。

「お友達作り」は難しくない。

「お友達作り」っていうとね。

得意な人もいれば、
苦手な人もいると思う。

でもね。
今回の話は

「子ども頃・あの頃」と、「今のあなた」
同じではない事。

作るのに気合なんか入れなくていい。

そして、
「お友達」「人間関係」
に求めるものはなんぞ、という事。
わたしの経験談をふまえて、
長々とつぶやいただけの話。

・・・・・

ちなみにわたしの学生時代。

友達が全くいなかったわけではないが、
特定の人とひっそりつるむタイプ。
(その中でははしゃぐ方)

昼休みとか、話したい友達がいないなら
わざわざ居心地のよくない輪に入るよりも
一人で寝てたり落書きとかして過ごす。

高校時代とかは、

社交的な明るい面白い系の人とはどうも
ノリが合わないというか、
妙な引け目を感じるというか。

見た目もかわいくないし、
(地味・眼鏡・天パ・ぽっちゃり)
特別おもしろいわけでもない、
性格もちょっとひねくれ・頑固だし、
これといった秀でたものもない、
そして社交的でもない。

ジャンルでいうと
「イケてない」グループに属するやつね。

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証拠写真。年齢不詳の18歳。

ほらね。(笑)
その資質自体はね、今も同じ。
基本は引きこもりタイプ。

(*‘∀‘)

◆ちなみに、過去ブログ「育てにくい子だったわたしの成長日記①」

http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12105400405.html

学生の時ってね、
やたら「班」にならされるよね。

わたし的にはあのシステム、本当に苦痛。

特に「好きな人と組んで」という早いもん勝ちのやつね。
あのシステム、
言い換えるとさらしもんだよね(笑)

仲いい子と組めたらラッキーだけど。
班であったり、ペアであったりと人数制限があったり、

その子とペアになりたいけど、
ライバルがいる・もしくは一緒になりたくない人も
ついてくるとかね。
下手したら、その仲いい子がクラス別というパターンも。

場合によっては、
誰も自分とペアになってくれないと
自分が「余りもの感」があるよね。
言い方悪いと
「余りもの同士」がくっつけられるパターンとか、
そんな自分が誰かの「お邪魔虫」扱いされたりね。

なんたる居心地の悪さ。

逆に、それを笑顔で受け入れてくれる人も
いるから、いろいろ救われたしね。

・・・・・・

学生の頃の「一人の友達」のウエイトって
かなり大きい。

たとえば、

クラスも、ご飯食べるのも、部活も、登下校も、
学校終わってからの遊びも、

いわゆる「親友」って呼ばれる人の定義って、
なんでも話せて、なんでも一緒に行動する人って感じ。

またね。

自分の好きでない人とも距離を取りにくい。

クラスというくくりの狭い中で、
さらに班や係なんて形で何かしら関わらないと
行けない機会もたくさんある。

で。
あの頃の学校教育ってさ、
なんでもかんでも仲良しこよしにもっていく
方向あったよね。
今もかな?

だから、わたしにとっての人間関係とは、
もちろん楽しい面もあるけれど、

「面倒くさい」「うっとおしい」
「自分が好きない人から好かれる」
「平等・みんな仲良くがウザい」

そういう意味では「防御」が必要だった。
もともと「人との壁・距離」に敏感なのに。
ただ、それがかたくなになりすぎてしまい、
もうひっこみつかないというところもあった。
そうやってよりひねくれいった部分がある。

でね。中学の時。

やたら同和・部落、障害のある方とかの話も
あったんだけど。

「差別しちゃいけません」「みんな平等」
って話だったけど、
わたしはそもそも「差別されている」ってのも
知らなかったわけで。
ある意味、差別しちゃいけません、ってわざわざ
教える事自体が、差別をなくさないんじゃないの?

今思えば、
「差別されてきた歴史があるけど、みんな仲良くね」
だのプレゼンだけでは
一番大切な事、伝えてないよね。

もっと深い話があったのかもしれないけど、
わたしの記憶には残ってないな。

またね。
学校の先生の中でいじめがあるって噂も聞いたよ。

大人がそんななのに、子どもにはみんな仲良く?
じゃーおーまーえも嫌いなヤツと仲良くしろよーー

なんて、こころの中で思っていたのである。
(*‘∀‘)HAHAHA

今思えば、
先生同士の中でも、そりゃ色々あるよね。

そんなこんなで、学校(そして地域的にも近所)
というディープな、かつ狭い範囲の中での
人間関係を経験してきたわけで。

・・・・・・・

成長していくにつれ、
部活やバイト、その他
自然とそれぞれのフィールドが広くなっていく。

だんだん一人とだけつるんでいる暇も
なくなるわけで。

あの時・あの頃、
ほとんどの時間を一緒に過ごした友達も、

いまや家庭や仕事や済む場所、優先する事も
色々違ってきてくると、自然と距離ができる。

それって、さみしさを感じる面でもあるが、

それは相手にとっても、
あなたにとっても、

歩んできた月日と経験の中で
広がったフィールドがあるからこそ。

でね。
話を戻そう。

今、大人になって、社会人になって、
「お友達作りが苦手」だという方へ。

お友達作り基準、

子供の頃と同じでなくていい。

すべてにおいて気が合う・仲がいい人、
でなくていい。

どこからどこまでがお友達と呼べるか?
そんな「お友達の定義」なんて
こだわらなくていい。

わたしが人付き合いが楽になったのは
「自分が付き合う人を自分で選ぶ」
「自分がいる場所を自分で選ぶ」
ようになったから。

今までのように、
誰かに仲良くしろって強制されなくて
いいんだ、と気付いたのだ。
もし、特定のグループでそういう風潮が
あっても、それ自体逃げてもいいわけで。

どこに行くか、誰に会うかも
自分で決めたらいい。

限られたグループの中でさえも、
その中で自分が心地よい相手・場所を
探せばいい。

それだけ。

・・・・

「友達とは」「親友とは」
そんなの定義を真面目に語りだすと、
とても小難しくなるかもね。

人によっては
「友達」って言えば、なんでも話せて
いざという時に助け合える人、
だったり、

人によっては
SNSでつながってる人はみんな「友達」と
言ってる人もいるだろう。

友達を「深い心のつながり、密なつながり」
という意味であれば、
「友達たくさんいます」って言いきれない人も
いるんじゃないかな。

友達の数を増やしても満たされない時、
きっとあなたの求めているのは
「すべてをわかちあえる人」
ではないかな。

「友達」という定義もきっと人それぞれ。
それだけ、人との距離感って
大切にしたいもの。

自分が快く思ってない人から
「私たち友達よね~」
その言葉に激しく違和感あるでしょ?(笑)

でもね、その距離感にこだわりすぎて
なんだか窮屈だと感じたら。
なんだか孤独だと感じたら。

ちょっと「友達」って言葉、
横に置いといてみよう。

・・・・

一人ではさみしい。
でも「友達」作るのって
難しい・ハードルがある。

そんな場合。

何かしら
「行動を共にできる人」が
いればいいんじゃないかな。

映画を観たい時は、映画好きな友人を誘う。

近くに素敵なお店ができた。
オシャレ好きなあの方をランチに誘ってみよう。

海外旅行は日常会う機会がない学生時代の友人と。

ブログで気になっていた人のお茶会に
いってみようかしら。

知らない人だけど同じ趣味の人が集う
チャットに参加!

学生の頃だったらさ、
これもみんな大体同じメンバーでしょ?

大人になっても変わらず同じってのも
すごいと思う。
でもね、それぞれのフィールドがすでに
違うんだから、同じである人の方が
すでに少ないかもね。

つまりは、どんな「形」であっても、
誰かと一緒に楽しく時間を共有できる人が
どこかにいれば、

ちょっといいカンジ、という話。

いまや、活動のフィールドは広い。

学校だけ、
職場だけ、
近所だけ、
日本だけ、

でなくていい。

まずはここに気付く事。

・・・・・・

家庭と職場の往復で、なかなか
友達ができない。

習い事などで行く先でも、
なかなか友達ができない。

だから、お友達作りたい!
頑張って作らねば!

そう意気込むとね、
ハードルあがらない?
より一歩踏み出すのって
気合とか勇気がいるようになるよね。

じゃ、気合入れてハードルあげるの
やめちゃおう。

気合入れて勇気を出すとかではなく、
きっかけをつかむって感じかな。

そんな時、
わたしがおすすめするのは2つ。

ブログとSNSを始めること。

①ブログを始める。

今時なら、もはやこれが鉄板!

今わたしは、活動も個人的な事も境目がないので、
完全顔出し・実名出しとなったけど、

そうなる前は、ブログに顔も名前も出してなかった。

それでね、
ちまちま自分の「書きたい事」「興味ある事」を
綴っていたらね、
共感してくれる人からコメント入ったりするのだ。

自分の趣味に共感してくれたり、
自分が当たり前だと思っていた情報を必要と
してくれる人がいたりして。

なんかね、
それだけの事でも、実はとても嬉しいのである。

②SNSを始める。

一見、ネットに慣れてない人にとっては
ハードルが高いように思えるかも。

でもね、実はそうではない。

1)出逢った人をナンパする時

ちょっとしたセミナーや習い事で出会った
素敵な人。(男女問わずね)
お近づきになりたいけど、いきなりご飯に
誘うのも勇気が・・・・

なんて時には!それこそSNSだ~。

わたし的には
個人の電話番号やメール交換より、
かな~りハードル低いわけで。

電話番号知ったって、かけて話すほどでない
距離感ってあるでしょ?

またね、電話って、時間が限られるけど、
SNSって自分の見たい時に絡めばいいし、
何かやりながらできるわけで。

そして。

SNSやブログなので自己開示をしていれば、
おのずと相手に自己紹介ができてしまう。
また、相手の人となりや趣味・仕事や生活パターン
などわかるわけで。

そしたらね。

個人メール出すほど気合いれなくても、
投稿コメントなら気軽に絡みに行けるし、

それで話がはずめば、おのずと展開が
変わってくる。

投稿みて、なんか違和感感じたら
フェードアウトもアリなのだ。

2)SNSからのつながり

SNSやってると、「友達の友達」なんかと
つながってくる。

これも、使い方次第であるので、
面倒くさい人もいるであろう。

が、利点としたら
「リアルの知り合いでない」
からこそ、気軽な絡みができる事。

また、素敵な人には素敵な人がつながって
いる。
自分の趣味を共有できる人が広がったり、
自分のやりたい事を、すでにやっている人
とも出逢うので、さらに情報が広がる。

またそこからリアルに出会う機会と
なった時には、
これまでSNSで知った情報がすべて
「話題のネタ」となる!
つまり、初めまして~と出会った時、
共通の話題を探ってモジモジしなくて
済むのである。

自分が発信するとね。

たとえば猫が好きだからと、にゃんこ写真を
アップしていたら。

「猫好きなんですね」と、
反応してくれたりする。

そうなったら、猫カフェ情報や猫画像などが
舞い込んでくるようになった(笑)

筆文字の作品を載せていたら。
「面白しそう!やってみたかった」
そうやってお申込みに繋がったり。

そしてわたし自身も、これまで
SNSやブログで色んな情報をゲットしてきた。

気になるセミナー・習い事とか
話を聴きたい人の講演会とか、
欲しいと思っていた商品の口コミ情報とか、
同じ症状・治療をした人のブログとか。

自分が探せば、情報はいくらでも転がっている。
でもそれは、「発信」してくれている人が
いるからこそ!

・・・・

もちろん、プライバシーやセキュリティ的に
注意点もある。
それはね、ちゃんと設定できるから、
不安な点はしっかりふまえておくといい。

ちなみに、
ブログ・SNSは仕事でなければ実名・顔出しで
なくともいいと思う。

でも、つながった時に名前・顔があったら
それだけでほっとするよね。

せっかくつながっても、まったく自己開示が
ない人だと、それ以上絡みようもないよね。

自分がどう使いたい、
どんな人とつながりたい、
そこを踏まえておくと、使い方も見えてくるよ。

もちろん、ブログやSNSなんていわゆる嗜好品
だから、やらなくてもいいもの。

でもね。

使い方によっては、かな~~り自分の枠を
広げるものになる。
言い換えると、
無料で、日常で誰もが使えて、
こんなに一般的で効果的なツールって、
ブログ・SNS以外に
なかなかないんじゃないかな?

・・・・・・・・

人間関係が苦手な人って、
「伝える事」が苦手な人。

自分の想いや考えを
「わかってくれない」から閉じこもる
と思うのだけど。

そもそもね。

「伝わるように伝えていない」

事もある。

だから。

誰のためでもなく、

「自分のために」
「自分を発信・開示」

それをやっていくとね。

いかに自分が上手に
伝えられていなかっただけなのか、

そして実はこんなに伝えたい事が
あったのか、

そんな事にも気づいてきちゃう。

そして。

「発信」するとね、「受信」もまた
うまくなる。
循環・つながりの意味も体感できる。

というわけで、
まずはここから、という話。

・・・・・・・

そんなこんなで、「お友達」に対して
ハードル高い方へ。

自分の事を伝える、
相手の事を知る、

リアルに会って話す時も、
ネット上だけで絡む時も、
その大切さは、変わらない。
方法が違うだけ。

そして。
それが自分にとって
楽しい事、遊びである事。

そうでないとね、
人間関係なんて煩わしいもの
ばかりとなる。

「友達」「遊ぶ」って、
ハードル高いと思っているなら、
自分がどんな付き合い・関係を
求めているかをちょっと見つめてみる。

一人の時間も大切。
だからこそ、誰かと過ごす時間も、大切。

自分にとっての「遊び」の中に、
誰か共有できる人がいれば、
より楽しいよね、という話。

そうすると。
自分でも気づかなかった一面に、自分が
気付く事ができる。

それって、自分一人でできない事。
誰かがいるから、気付かせてもらえるわけで。

そのためには。

誰と過ごすと居心地がいい?
何をしている時間が楽しい?

そこに自分が素直になる事、かな。