「非常識です!」その言葉を使うぷんすかさん程、非常識であるという件。

「あの非常識な人をどうにかしたいんです!」

「わたしは間違ってませんよね!?」

そうぷんすかしている人ほど、
世間的に「非常識」である。

いつもとはちょっと違う切り口から。

・・・・・

わたしがそう感じたのは、
「発言小町」
ネット上で自由にお悩み相談できる場。

ここを読み漁るのが日課だった20代後半の頃。
(あぁ、もう10年以上も前の話だYO)

一つの相談や質問に対し不特定多数の意見が
集まるので、まあ面白いわけで。

貰った返事に対してトピ主の反応がある時もあり、
時にはその経過報告もある。
心温まる展開のものもあれば、
ハラハラ・もやもやしちゃったり。
つまりは人のネタというは、面白いという事。

で。

その中で、定期的に出現するお悩みの
王道パターンがある。

「非常識な嫁なんです!
嫁としての自覚をもってもらいたいのです!」
ぷんすか。

「ありえないんですけど!わたしがせっかく
〇〇してあげたのに!どう思います?」
ぷんすか。

しかし。
そのようなタイトルのものは、
内容も共通して感じるものがある。

「いやいや・・・・
非常識なのはあなたの方ですが・・・」
案の定、大体同じレスがつく。

そして。

「わたしがこんなに批判を受けるなんて、
驚いています!
非常識なのはあっちなんですよ!?
わたしがこんなにやってあげているというのに!」

この反応も、トピ主王道パターンというか。

時には、
「こんなに批判を受けるなんて。
世間の感覚と自分がズレている事に気が付きました」
そこに気付く人も、ちゃんといるけれど。

・・・・・

こういう系のレスは、

「トピ主が非常識だ!あなたが考え直せ!」
「相手がかわいそう!」

そういう内容が集中するのだけど。

そういう場合。
「そんなことありません!わたしは〇〇の
ために頑張っています!」
「わたしはそうやってきたんです!」
「あなたにそう言われる筋合いはありません!」

そういう応酬になりがち。

もしくは、その後一切反応がない場合も。

だって。
「あなたが正しい!」
よしよししてもらってスッキリする気満々で
投稿してみたものの、
まさか自分が批判される側になるとはね。
自分を顧みるフィードバック貰いにきたわけ
ではないから、直撃するとダメージ大。

だからこそ、
トピ主もさらに防御・攻撃(言い訳)を
重ねざるを得なくなる。

・・・・・

「常識・非常識」
あくまで、
それぞれの感覚・考え、価値観の話、
あくまで多数派・少数派の話。

「わたしだったら〇〇なのに。」

これは、自分にとっても、誰にとっても、
その時の、一つの意見にしかすぎない。

突き詰めると、
その内容云々は結局は程度問題だけの事。

わたしが正しい、相手が間違っている、
その相手に「自分の正義を押しつける」事が、
「あたなの方が非常識です」
と返される人のパターン。

・・・・・

わたしが興味深く読んでいたのは、
トピ主の反応だけでなく、
レスする側のコメント。

大抵、いかにあなたの方が
「非常識」であるか、
そんなレスが懇々と並ぶ。

それをみて、読み手側も、自分の常識の
ラインがどこなのかも、わかってくる。

・・・・・

その中でも、
ちょっと切り口の異なるコメントがある。

どちらがが常識・非常識、に頷くのではなく、
まずはそのトピ主の心に寄り添う文言がある。

その一言、その文面だけで、
トピ内の雰囲気が変わるのがわかる。

そして、トピ主の反応も、場合によっては
ガラッと変わる事もある。

トピ主がそんな非常識発言をするにも、
必ず理由があるわけで。
そこを汲み取れる人になりたいな、と
素敵なコメントの返信をみて、そう思った。

・・・・・

わたしの気付き。

非常識だという相手を、
あなたの方が非常識だと伝えるだけでは、
何も解決はしないという事を。

確かにわたし自身にも、
常識・非常識のラインがある。
それは大切な事。
だからこそ、そこで相手の常識・非常識と
やりあっても仕方がない。

自分の「常識」とは。
様々な経験を経てアップデートされるもの。
つまりは、移り変わるもの。
だから、その瞬間確固たるものがあろうとも、
一定ではない。

そんなもの、
相手と「争い」なったところで
終わるはずもない。

・・・・・

「非常識なのはあなたです」

自分の中の決めつけやおごりを、
こうやってズバッと言われる機会、
日常面と向かってはない事も。

こういう経験も、気付きのひとつ。

また、
身近な特定の人から非常識扱いされ続け
自分の感覚がおかしいんじゃないか?
そう思った時にも、広い世間の感覚を
知るのもひとつ。

わたし自身、この発言小町から
「世の常識・非常識とはなんぞ」
の感覚の学びの一つになった。

その文章ひとつに、
自分がうずうずしたり、はらはらしたり。
自分の中にも、もちろん常識・非常識の
感覚があり、
それが世間的にどうなのかとか、
自分と違う人はどこが・なぜ違うのか、
そんな事も見えてくるわけで。

綴られてる文章だけでなく、
その文章を綴っているその人にも、
その人なりの背景がある事が見えると。

安易に「あなたの方が非常識です」
で終わらせる気にはならなくなった。

だからこそ、
やはり自分の発する言葉・文章も大切
だと感じた。

「こんなの非常識!ぷんすか!」

そう思う事があれば、こういう場を使って
フィードバックをもらうのもアリかもしれない。
世間の常識・感覚。
それはあくまで、そこを読んでお返事
してくれた人の中の常識。
間違いではないし、すべてでもない。

人からの意見を返された時、自分がどう感じるか、
そこをポイントに。

・・・・・

久々に覗いてみたけど。
いつの時代も、
王道パターンは残っているのね。
(´・ω・`)ほぼ同じテーマあったぉ。。。

「発言小町」

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