そこに「人を診る」本質はあるのか?①

からだの事、こころの事、
学べば学ぶほど、とても面白い。

興味深いタイトルの講座が沢山あって。
特にアロマや薬膳、スピ関係では、
「~のための東洋医学講座」など、
派生した講座もたくさんあるようで。

知識・情報量は、確かに盛り沢山。

たとえばベビーから妊産婦さんへのケアとか、
ご年配向けのケアとか、
季節・症状別のケアとか。
学べば学ぶほど面白くて、
一つ受けると、その奥の深さに
さらに違う講座を受けたくなるもの。

だがしかし。

わたしは、これほど興味深いであろう
講座にあちこち参加しなくなっていった
には理由がある。

それは。
肝心の
「人を診る」
という本質が見当たるところが少ないと感じたから。

・・・・

このようなセミナーや参考書には、
「こういう症例には、こういうケアを」
なんて処方箋はたくさんある。
それは、数々の研究・調査した結果だったり、
また、セミナー講師や著者の実体験だったり。
そういう方法でたくさんの情報を入れると

「この〇〇は、□□に効果あるんだね!」
「こういう時は、こう使えばいいんだね」
「へー、そんな使い方があるんだ!」

新たな学びはとてもわくわくし、
面白味を感じれば、もっと知りたい、
さらに深めたいと思うだろう。
そして、最近の流行りなのか、
「メディカル〇〇」
そんな講座のタイトル・資格を目にするように。
つまりは、「解剖・生理学」も講座内容に
組み込まれているという謳い文句なわけで。
このような講座のタイトルを見ると、
惹かれてしまう人の多いのではないか?
(わたしも、その一人)

しかし。
わたしはここに落とし穴があると感じている。

一度、立ち止まって見てほしい。
その講座の教えに、講師の話に、
肝心の「人を診る」
学びがあるのかを。

・・・・

ヒント1
学べば学ぶほど、
自分にとって「必須アイテム」
(それでないと困るもの)
が、増え続けていないか?
それを使う事が目的となっていないか?

ヒント2
「東洋医学~~」「メディカル~~」
といって、紙面上だけの学びではないか?

まずは紙面上で、解剖生理や事例集
などから学ぶはもちろんであるが、
それだけ詰め込んで終わりではないだろうか?

その後実習などで、紙面の内容と、実際の
人と、照らし合わせて学ぶ機会は
あるだろうか?

もしくは、その方法や実践の場についての提示などあるだろうか?

・・・・

「代謝の際にはこの栄養素が必要で~」
「この野菜は「温」「平」だからどうの~」
「この季節にはこの旬の野菜を~」
解剖生理学や東洋医学をちょっとかじると、
色んな情報がある。
その数は限りなく、学びきれないほど。

しかし。
東洋医学や、解剖生理とか、
人のからだを学ぶと謳うならば。

その知識・情報や商品を得た、その先に
学んだ知識・情報を生かすための
「人」を診れるようになっているのか、
という話。

もちろん、すべてを小難しく考える必要はない。
気軽に安全に、誰にでも活用できるもの、
普遍的に、全人的に当てはまるものもあるわけで。
その知恵を自分に、家族に生かすにも、
まずは楽しく、気軽に簡単、というのは大切。

が、しかし。

こんな症例にはこの漢方を!このアロマを!
からだの中では代謝があーでこーで・・・

時として、
その学びそのものがメインと
なっているように感じるわけで。

数ある情報や紙面上の症例をいくら学んだとて、
一番基本的で、
そして最終的に大切なのは

その対象である「人」を「つながり」
として診る事なのでは?

言い換えると。

そのツボはこんな時に押せばいい!
ラベンダーはこんな症状に使えばいい!
何があってもこのサプリさえ
飲んでおけば大丈夫!

その使う「人」を捉えられていなければ、
「ただツールを使いたいだけ。」
となってしまう。

症状とは、
表面に見えるようになっただけのもの。
症状として現れるには、
その根本があるわけで。

もちろん、症状緩和ひとつ、
とても大切な事。

でも、何でもかんでもそれで症状緩和をして
済まそうというならば。

それがアロマやレメディーであっても、
鎮痛剤飲んでとりあえず痛み押さえよう、
という考えと、なんら変わりがない。

使うツールが変わっただけで、
西洋医学的(対症療法)と、考え方
同じじゃないの??
って話。

「薬」は悪、体に負担だからダメ、
これは有機だから・品質が最高級だからいい、
というのであれば、それは実は
本質からズレており、
「からだのため」といよりも、いわば嗜好品。

だって、散々学ぶのでしょ?
基本的な睡眠や食事が大切だと。

それでも足りない時の補助的に。
自分の持っている力をサポートが必要な時に。
のはずが、いつの間にか「メイン」と
なっていないか?

そこのからくりは、
協会・組織の成り立ちを見ていると、
おのずと見えてくる。
セミナーも、ひとつ受けたらもっと欲しくなる。
講座や商品購入も、定期的にすればお得になる
(かのように感じさせる)仕組みが絡むわけ。

いつの間にか、生活が
その「商品ありき」に染まっていく。

人と物が循環する事はとても大切。
その形態作りは必要な事。

何事も「それを使う事」が目的となっていないか?
その根底の見極めは大切。

つまり。

人をそのように導く講座には
「人を診る」根底は、ない。

わたしはそう感じている。
※ちなみに。
教える側の土壌の規模や内容が変化する時ってのがある。
色んな事が、実はあらわになる時。
まさに根底を見極めの時である

・・・

ただね。
伝える場、というのは
それぞれの得意分野がある。
言い換えると、
ひとつの場で、すべてをまかなえる場はない。
わたしはそう思う。
人を診る事を伝えてくれる場、
アイテム・スキルを身に着ける場、
実践する場、
それが必ずしもひとつであるとは限らない。
むしろ、そういう場の方が少ないのでは?

だからこそ。
外ばかりにいい・わるいを探し求める必要はない。
どこから何を得るか、
得たものをどう活かすか、
それもまた自分次第なのである。


・・・・・・・

単にわたしの経験と憶測と偏見で、
自分の居る立ち位置からの話。

わたしが自分を振り返って、周りを見て、
そう解釈しただけの話。

わたしは、単に
「真の医療とは、セラピーとは」
なんてことをアツク語りたい立ち位置なだけ。

だから、別に真の治療がどうのこうのを
求めていない、わたしと目的が違う人には
全く響かない話。

こんな小難しい事を考えずとも、
楽しく学んで活用し、それぞれのやり方で
人生に生かしていくでもアリなのだ。

ただ。
もし、本当の意味で「人を診る」とはなんぞ、にひっかかったのであれば。

「人を診る」事を学びたい、
「人を診れる人」から見てもらいたい、
そうであれば。

その視点で、自分の周りの講座や講師の話や、
自身がどう受け取っているのか、
そこを振り返ってみてほしい。


こういう講座って、一般の人対象から、
医療者とかセラピスト対象もある。

だからこそ。
そういう講座をするならば、
医療者・セラピストに人を診る本質を
伝えられる内容を求む。

そして。
学ぶ方も、ただもらって当たり前ではなく、
自ら探ってほしいところ。

長くなったので分けました。
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