「こんなブログ、非常識です!不快です!」人の記事を読んでぷんすかしている人へ。ぷんすかされるのが怖くて発信できない人へ。

「こんなブログ記事書かないでくれますか?非常識ではありませんか。」

「わたしは〇〇でした。だからあなたの言っている事は間違ってますよ。」

「〇〇について安易に書かないでください。悲しむ人がいます。不快です。迷惑です。」

先に結論を。

それを、ブログを書いた人に「ぶつける」のはお門違いだという事を。

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まずは、この方の記事を参照にしていただきたい。
この記事に、わたしはいたく共感。
そして、だからこそ表現に気を付けたいと思う。

「わたしの文章を信じないでください」~森へ行こう(心とからだと子育てと)~

http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201609170000/

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そもそも、個人のブログの記事とは。
(ブログでなくともだけれども)

「個人の経験に基づく、その人の解釈」である。
それを、その人・個人のタイミングで、その個人の感性や表現力によって綴られた言葉。

色んな方のSNSやブログのコメント欄を見ていると。

「迷惑です!不快です!非常識ではありませんか。」

「わたしは〇〇でした。だからあなたの言っている事は間違ってますよ。」

「それ、わたしに言いたいんですか?当てつけですよね!」

そして、自分はこうでした・ああでしたと、とても長文の攻撃的なメッセージを目にする事がある。

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人の文章に、自分の体験・気持ちがヒットする事(怒りや悲しみが沸く時)があるだろう。

しかし、それを「ブログを書いた人にぶつける」のは、お門違い。

なぜなら、そのブログ内容は、あなた個人へのメッセージではないから。
書いた人が、その人の経験の中で見てきたもの・関わってきた出来事から生み出されたもの。

だから、読み手がいくら不快になる内容を含んでいたとしても、そのブログを書いて発信している時点では、
読み手の事情は関係がないということ。

言い換えると、ぷんすかしているあなただって、そのブログを書いた人の経験や事情をすべてを知りえないわけで。

その記事内容は、ほんの一握りのエッセンスにすぎない。
頭の中・こころの中、全部書き出したくたって、いかんせん無理なのである。
〇〇と書いてある、□□と書いていない、それだけで配慮がない・非常識だと、言い切れるのであろうか?

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「あほ・バカ」という言葉が、責められた気になる人もいれば、愛があると感じる人もいる。

「真面目だね」そういわれると、褒められたと感じる人もいれば、面白くないって言われた気がする人もいる。

SNSで友人の結婚の報告を見て、心からおめでとう・知れせてくれてありがとうと人もいれば、当てつけかと思う人だっている。

つまり。

出来事は出来事。ひとつの事象から、何を感じるかは「あなた次第」という事。

それを踏まえて、ブログの「読み手」に伝えたい事。
誰にとっても不快にならない配慮なんて、そもそも無理なのである。

どんな内容の記事であれ、感じたことは「あなた自身の経験に基づくこと」である事。
つまりは、あなた次第。

そして、ブログ記事を書いた人なりの経験や想い・事情がある、という事。

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もし、人のブログやSNSを見て不快な気持ちになったならば。

まずは気付いてほしい。「誰かがあなたを責めてる」のではない、という事を。
だから、大丈夫。

そのうえで、自分が感じたその気持ちを「そのまま」感じてみてほしい。
人を妬ましく思う気持ち、イラッとする、なんだか虚しくなる・・・・

ブログを書いた人に「非常識なんですけど!」「迷惑なんですけど!」
そう言いたくなる時の気持ちって、
たとえば、自分が今までやってきたことを、否定された気持ちになっているからでは?

「自分の経験ではこうだった」「自分はそうじゃない」「自分はこう思う」
つまり、自分の想い・経験を伝えたい、知ってほしい、認めてほしい、そんな気持ちがあるからこそ。

その気持ち、
「非常識なんですけど!」「迷惑なんですけど!」
その表現では、伝わらないということ。

そして、本当に伝えたい相手は、誰なのか?
その気持ちを、一番大事してもらいたいのは、誰なのか?

嬉しくなるもイラッとするも、すべては自分の経験の中での比較。
そして、抑えきれない気持ち・なにかくすぶっている感に気付いたら、
それは自分の本当の気持ちに気付くチャンスのひとつ、という事。

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発信する側へ。

もちろん、自分の投げかけたもので、素敵なメッセージが届いたら、とても嬉しい・励みになる。
その分、逆の反応・思ってもない反応だと戸惑うだろう。

しかし。

上記で述べた理由と同じ。視点を変えてみてほしい。

つまりは、
あなたが予想した反応と違う事があり得るわけで。
自分が伝えたい意図を、ちっとも汲み取ってくれていないと思う反応も多々あるはず。
十分配慮しているのに、それでも批判のコメントがくる。

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だからこそ。

発信する側が揺らいではいけない部分がどこなのかは、もうおわかりのはず。
あっちの人に責められないように書いたって、今度はそっちの人から責められるかもしれない。批判されない事が目的ならば、そもそも発信なんてしなければ済むだけの話。

また。
怒りや憎しみのメッセージを受け取った場合、
それに対してもやっとする・ビビる・愛のお叱りだと受け取る・・・・
それも、感じるのはあなたなのである。

ぷんすかしてきた人が非常識・問題だと責める事は、つまりは相手と同じ土俵の上だという事。

それゆえ「配慮」「工夫」が必要なのである。
それを無きにして、伝えたいものが伝わるはずはない。
自分が書きたい事・発信したい事が、「人に伝えたい」ものならば。
それを受け取ってほしい人に対して、受け取りやすいための配慮と工夫を。

否定的な反応を恐れるから発信できない方は、ここを押さえておく事。

さて。
発信したいというあなたの根底はどこにあるのか。
まずはそこから。

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ここまで述べたことは、言い換えると、すべてブログやSNSの醍醐味のひとつである。

発信する側も、読み手も、
結局は「相手」を介して、「自分」に気付く。
ぷんすかしようがされようが、それすらも経験・学び。
ただそれだけの事。