「頭ではわかってはいるんですけどね~」動きたいのに動けないあなたへ。

動きたいのに動けないあなたへ

「その話は知っている・わかっている」
「前にも〇〇さんから同じ事言われた。」
「頭ではわかってはいるんですけどね~・・・・」

この言葉を発するあなたの奥から、声がする。

「本当はそこじゃないんだ」
「これ以上踏み込んでこないで」
「これ以上責めないで・そっとしておいて」

・・・

でもね。

あなたがこの言葉を発しているということは、

何度も同じメッセージが舞い込んでいる事に、すでに気付いている。
本当に必要のないメッセージならば、それは生まれない言葉。
それは、いつか受け取る日まで、様々な角度から何度でも舞い込んでくる。

もうね、いくら念入りに準備しても、準備なんていつまでも整わない。

「知っている」
「わかっている」
「前にも〇〇さんから同じ事言われた。」

この言葉が出だしたら、それは自分から自分に出したサイン。

「やるか、やらないか」

それを決めるタイミングであること。

・・・・・

「〇〇したいけど、どうすればいいかわからない。」
そのようなご相談事を受けた場合、
わたしのもっている情報を提供したり、詳細なアドバイスをさせていただく。

「それはもう知っている・わかっているんです」
「頭ではわかっているんですけどね・・・」
「え~、でも~」「だって~」

・・・・

その反応でわかること。

「〇〇したいけど、どうすればいいかわからない」というご相談事は、
あなたにとって、本当に訊きたい事ではない、という事。

しかし、そこに自覚がない場合、
色んな所で、色んな人に同じ相談をしている。

そのたびに似たような答えが返ってきて、
「でもでも、だって」がでるならば。

それは、すでにあなたが答えを持っているという事の証である。
でも、その答えは、自分では気づかないようにと、ちょっこり隠れている。

まずは、その状態に気付く事から。

・・・・・

長年、
自分の気持ちを伝える事を、どこかで諦めてきた人は、
感情をなるべく出さないように努めてきた人は、
自分の選びたいを選べず、妥協したものを選択してきた人は、

自分の気持ち・やりたい事がわからない、という。

その自分の本当の気持ち、長年見せないように隠し続けていると、いつのまにか、自分でも気付かないところにちょっと隠れしまっている。
それはそれは大切なものであるからこそ、安全なところにがっちりと。

アドバイスを受けて、
「もう知ってるし」
「わかっているし」

何度も同じメッセージを聴くたびにそう答えている時。
あなたはどんな感情を感じているのだろうか?

その気持ちは、あなたの大切な気持ち。
ちゃんと感じている。わかっている。
「感じていない・わからない」 ただ、そう取り繕うとしているだけ。

感じた気持ちの中に、その奥に、ちゃんと答えを持っている。

・・・・・

わたしが「動きたくても動けない・やりたい事がわからない」
その時期を長くやり続けた時の言い訳。

「わたしがやらなくても、すでに誰かがやっているから」

たとえば、ブログ。

わたしが言いたい事を、すでに書いてくれている人がいる。
わたしが書いても、内容はすでに既存なのだから、意味がない。

たとえば、自主上映映画開催。

興味深いイベントセミナーも、すでにやってくれいる人がいる。
わたしがやらなくとも、やってくれているものに参加すればいいし。

たとえば、筆文字セミナー。

わたしよりも上手な人・面白い人が、すでにやっている。
わたしのところに来るよりも、断然そっちに参加した方が面白いに決まっている。

たとえば、レイキ。

わたしよりリーディングが繊細で、施術が上手な人がいる。
受けるならわたしなんかより、その人をオススメしちゃう。

たとえば、アロマ。

もう、アロマなんてやってる人は溢れている。
わたしでなくとも、どこでも受けれるよね。

たとえば、イラスト。

いやいやいやいや、こんな素人に頼むより、
プロで素敵なイラスト描いてくれる人、たくさんいるでしょーに!

わたしなんかがやらなくても・・・・・

・・・・・

わたしが看護師を辞めたのは、もうかれこれ2年前になる。

そこはもう、わたしの居たい場所ではない、そう気づいて退職した。

やりたくない事をやめたら、それでめでたしだと思っていた。
あとは勝手にやりたい事が明確になると思っていた。

しかし。

「動きたくても動けない」そんな時期をさらにうだうだ過ごし続けた。

そんなとある時、「自主上映映画」を主催する流れになった。

その経緯をちょっこりと。

・・・・

とある講座に参加し、一つの宿題がでた。

「自分がとんでもないと思う、ワクワクする事をコミットする」というもの。
(簡単に実現可能な事でなく、とんでもない!出来たらチョースゲーという事)

わたしは、いつもこの手の質問が一番答えられなかった。
「〇年後の理想の自分」・・・
理想なんて、好き勝手言えばいいのはわかっている。
しかし、まったくもって想像がつかない。

案の定、その宿題も浮かばなかった。

講師にその相談をしていたら、話の流れで
「(自主上映映画開催)やってみたら?」
そう投げかけられた。

その時。
一瞬の間はあったものの、「はい、やります」と答えた自分。

・・・・・

それまでは
「やるべきか、やらざるべきか」
その選択肢の中にいたことを気付き、それを辞める事に必死だったわけで。

だから、しばらくは
「やりたいか・やりたくないか」「好きか・嫌いか」「快か・不快か」
それを「感じる事」「実践」をとことんやった。
(今までは、こころのお勉強を「頭」でやってきた)

その渦中はというと、自由のようで、自由でない感もあった。
「やるべきか、やらざるべきか」を卒業したはずなのに?

せっかく、やりたくない事を必死で辞めた。
だからこそ、中途半端な事にはもう、労力を使いたくない。
本当にやりたい事にしか尽力したくない。

そうやって、色んなことに迂闊に手を出せなくなっていた。
それは、今までの反動でもあったわけで。

それでもね、
自分の「やりたい・やりたくない」「好き・嫌い」
これを散々体験して、感覚を取り戻したからこそ、気付いた。

自分の選択を大切にすると、
「やりたい・やりたくない」を超えて、

「やるか・やらないか」で動けることを。

・・・・・

「やる」って決めたら、もうね、四の五の考える暇なく、動くしかなくなる。

だから、決めると、ある意味、楽になる。

言い換えると、

やるって決めたら、動くしかなくなるのが分かってるからこそ、決めたくないわけで。

わたしは「動きたいけど動けない」を散々やってきた。
その本心は「まだ決めたくない・動きたくない」それだけの事だった。

散々やって、もうお腹いっぱいになったからこそ。

「やってみたら?」
そう差し出されたものを、選ぶことに決めた。

わたしなんかがやらなくても、いい。
でも、わたしがやっても、いいわけで。

やりたかったら、やればいいし、やりたくないなら、やめたらいい。
乗り気でなくても、やると決めるのであれば、動けばいいだけ。

・・・・・

まとめ。

「自分の本当の気持ちがわからない」

一番手っ取り早いと思うのは、やはり
「行動すること」。

「わからない」と言い続けるなら、
「やってみたら」と「差し出されたものを受け取る事」のもアリ。

「~~したら、〇〇になるはず」
そんな、頭の中でのたらればのシュミレーションは、
どこまでいったって、シュミレーションにすぎない。

やるか、やらないか。

あなたにとって、チャンスを差し出されたものだと気付いたら、

そろろそ気付く時・決める時。

動きたいけのに動けない。
それは、自分の気持ちをとことん感じて大切にするチャンス。

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