「お金さえあれば・・・・」言い訳でもあり、絶望でもあり、希望でもある。

「お金さえあれば・・・・」

「~さえあれば・・・・・」というのは、「やらない理由・やりたくない理由」。

つまりは、言い訳。

同じ「お金がない」という状況であったとしても、
したくない事ならば、それは断るための絶好の理由になる。
やりたい・やろうと思ったものは、じゃあ、できるためにはどうすればいいか?と、考え行動に移す。

それだけの話。

が、こう言い換える事もできる。
「~~さえあれば」というのは、「希望」である。

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「いつか、~~したい・なりたい!お金さえあれば、いつか」
つまりは、それが希望。
お金さえあれば、もっと幸せに・もっと楽しく・・・・つまりは、可能性を感じているともいえる。

また。
「やりたい!」の後に「けど~、でも~、やっぱりな~・・・」が続く場合。
(迷って決断ができない・延々とやらない言い訳が出てくる場合)

これは、つまりは「余裕がある」から。
「種類がありすぎて何を選べばいいかわからない・困っちゃう~」
あれこれ考えている間とは、たしかにしんどい事でもあるが、それが楽しいともいえる。
選ぶ種類があり、可能性があり、時間があり、だから、迷えるのであるという話。
(明日も食べるに困る状態ならば。四の五の言わずに、職種にこだわらずとも、まずは働くしかない・稼ぐしかない。)

言い換えると、
すでにお金は手にしている、しかし、本来自分が手にしたいものが「ない」と感じる人にとっては、お金は希望ではない。
「~~さえあれば」という希望すら、絶たれているわけで。

親からの財産を引き継ぐなど、自動的に毎月多額の金額が入る。いわゆる生活に困らない。ししかし、根底の「自分がやりたい事・好きな事」がわからなければ。
やりたい事はわからない。
働いて稼ぐ必要はない。
生活には困らないのだから、がむしゃらに何かに挑戦する必要がない。
じぁあ、何のために生きているの?
お金とはエネルギー。いいもわるいも、色んな人を惹きつける。
だからこそ、「自己信頼」が根底になければ、周りの事もすべて疑いの対象となる。
「この人が優しいのは、わたしにお金があるから・・・?」

いい人でいたい。一緒にいてほしい。
選択の基準が「周りの目」であるならば、いい人とは、「誰かにとって都合のいい人」。
金の切れ目が縁の切れ目。その言葉は真実となる。
生きづらい理由は、つまりはお金がある・なしではなく、「自己信頼」があるかないか。

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「手段」と「目的」は、別なのである。
お金は、手段のひとつ。
やりたい事・なりたいもののために、実現化するための、ツールの一つ。
わたしが、HP作るのにプロに任せたい!だからお金が必要。お金ほしい!

➡やってくれるのは「お金」ではなく、「パソコンのプロとして引き受けてくれる人」なわけで。

お金とは、エネルギーとは、
その規模が大きいほど、小さいほど、
お金と、その「つながり」が見えない・感じない。
そこが不安になる部分でもある。

「お金」は大切。だからそこ、その大切なお金を通じて、
自身の在り方と、そのつながり見渡してほしい。