わたしが安易にスピリチュアルや統合医療とか言わなくなった訳。

どんな素晴らしい事柄でも。

人に伝わらなければ意味を成しません。

発信力のある方々のおかげで
わたしは「世の常識は必ずしも正しいものではない」
そう気付く事ができた。
わたしが統合医療・自然療法・スピリチュアル
という分野に興味を持ったのは、
病院では治らない・原因不明で
済まされるものが
「わかっちゃう」人達と出会ったから。

そして今では、
統合医療・自然療法・スピリチュアル
という言葉は、一般的に世にも広まる
ようになってきた。

だがしかし。
ゆえに、最近特に感じるのです。
一部の治療家・セラピストの向かう先が、
「真」の道から逸れていると。

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その場では痛みがウソのようにとれるとか、
誰も知らないはずのことを言い当てられるとか、
目に見える物質でないそういう体験は
「不思議」という扱いを受ける。
「不思議」な体験は、とても面白いのです。
こころとからだとたましいのつながりの話、
信じる信じないという範疇を超えて
そのつながりを実感すると、
とても面白い分野。

今の世、
「本質の時代」
と言われるようになってきた。

どんな大切な事柄でも
人に「伝える」には、
伝わるような表現と、
それをつないでいく作業が必要なわけで。

そういう意味では、
小難しい長い話よりも
ぱっと見でわかる、
体感してわかる、
鮮やかな手技や面白い道具を使うものは
面白味が伝わりやすい。
が、その伝えている内容の本質はどうなのか、
その伝えている方の在り方はどうか、
一度立ち止まってほしいのです。

今や、スピリチュアルと医療の関係を
説かれている方々も増えてきた。

とくに、今の世、
「ガン・治療」と「スピリチュアル」
がキーワードとしてつながる。
しかし感じるのは、その内容は極端。
はっきり申すならば。
「一部」では、病気を「商業利用」
されているように感じる。

痛みがその場ではパッと取れる、
波動がいいものを・・
そうやってどんどん治療道具や
メニューが増えていくもの、
そのスキルがほしくてたまらなくなる・
その能力さえあれば〇〇できる、
と思わせるものほど、
定期的に通い続ける・摂取し続ける事が
いい事と思わせるものほど、
それは単にパフォーマンスに過ぎない
ものが混在している可能性がある。
言い換えると、
安全とはいえないものさえも。
(むしろ危険が伴うもの)

そこの見極めの指標のひとつ。
それを「やめる」事に対し、
不安や恐怖があるかどうか。
(継続し続けないといけない、
というのを不安を煽る形で伝えられるもの。
どういう基準で続けていくか、
やめていいか、明確な説明がないものなど)
だからこそ。

自分自身の在り方・生き方、
そして
選ぶ医療者・治療家の見極め、
その大切さをお伝えしたい。

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「病気や怪我が、この世からなくなればいい」

わたしは健康でいたい。
とくにわたしは痛がりの怖がり。
ましてや家族友人知人、
みんな健康で生き生きとしていてほしい。
病気とか怪我とか、
しないに越したことはない。
この世から病気がなくなったら、
セラピスト・治療家は困る?
一見そうおもうかもしれないが。
実際、そんな役割が必要なくなっている世ならば、
必然的にそれ以外にやりたい事やればいいだけ。


わたし個人は、いつの日か、
病気や怪我がこの世から無くなる、
とは思ってはいない。
なぜなら。
「すべては自分で決めている」
そう学んだから。
ゆえに、
病気も、いいもわるいもない、
そう解釈している。

病気にならないと伝えれらない事・
病気になるまで気づかない事がある。
病気になる事で助けられる事がある。
そこに至るには、理由がある。
病気はからだ・こころからのメッセージ。
肉体を持ち生きる人間として、
生き物として、
とても大切なしくみ。
それを受け取れるかどうか、
受け取ったのならば、これからどうするか。
時に。
病気である状態を大切にしたい人・
その状態に助けられている人がいる。

ということは、
病気である状態を大切にしたい人がいる限り、
病気であり続ける状態を助ける人、
も必要なわけで。

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必要な方に、伝えたい事を純粋に
届ける目的で行動し、
それを継続していくと。

少なからず自身の発信力・影響力が
増してくる。
その発信力・影響力というのは、
これまたいいもわるいも、
色んな事柄を寄せる。

ゆえに、「本質」とは違う方向性に
導く側も寄ってくる。
もちろん、それがいいわるい、も言えない。
それも必要な学び・過程と言えば、それまで。

しかしそれならば。
治療家・セラピストであるならば、
自分の関わる立ち位置や役割はどこなのか、
それを見失って欲しくはないと思う。
それだけ、人の人生を左右する影響力
があるから。

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本質を問われる時代、本質がさらされる時代。

名選手が名コーチならば話は早いけれど。
名選手が名コーチでなくてもいいし、
名コーチが名選手でなくてもいい。
「真」を知っている・できる人と、
それを伝えられる人は、別でも良い。
個々の得意分野を持ち寄り、
タッグを組んでの活動は、
今色んな分野で見受けられる。
自分の持ち場で、
自分のできることを発揮していい時代。

だがしかし、時に。
名コーチが、
名選手のふりをしている場合がある。
名コーチでないのに、
名コーチのふりをしている。
名コーチが、
名選手を客寄せのため、
名選手をコントロールしている場合がある。
名選手は、
自分のパフォーマンスの鮮やかさをおだてられ、
名コーチの言われるままに動くようになる。

そして今や、
今はそこを見抜く・暴く、晒す人々も増えてきた。
その流れをとても感じる。
しかし。
ゆえに防御・攻撃・押さえつける
力も増しているようにも感じる。

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発信力・影響力があればある人ほど、
いいもわるいもない、
とすべてを受け入れられる方ほど、
周りは様々な人間が集う。

だからこそ、治療家・セラピストは
特に、自身の影響力・在り方を自覚してほしい。
選ぶ側は、見極めを。
そして、自身の在り方を。
(その方とつながっているからといって、
みんなが白ではない。)
パフォーマンスがとても鮮やか・上手、
妙なカリスマ的雰囲気、
急いでそれを学びたくなる・
それを知らないといけないと焦る、
そんな時ほど、
まずは一旦立ち止まってみてほしい。
その人の顔・表情・全体の雰囲気、
周りの集う人の雰囲気・場の空気、
それだけでも、
選ぶ人にとってたくさんの情報があります。
その情報を・その人を、信じる信じないではなく、
大切なのは、その情報、その人を選んだ
「自分の感覚を信頼」できるかどうか。

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