感情を感じたくない人へ。人として成長する事は、何も感じなくなる人になるわけではないという話。

怒られたり嫌なことをされたり。
そんな時、
人は気分が落ち込む。辛くなる。

そんな時、少々の事で凹まない
いわゆるメンタルがタフそうな人を
羨ましく想う。
いつも笑っている人、怒ったところを
見たことがない人を羨ましく想う。
細かい事で落ち込みたくない、
もっと強くなりたい、そう願う。

しかし、それは
「感情を感じなくなる」
のとは違う。

・・・・・・・・・

「東さんって、怒る事あるんですか?」
以前看護師をしている時、
よく不思議がられていた。

もちろん、いらいらするし、焦るし、こわいし、
いろんな感情があるけれど。
傍から見て「怒りをぶつけてくる人」が、
いかに周りを委縮させるか知っていたので
自分はやりたくなかっただけ。
ちゃんとやってほしいんだったら、
逆効果じゃね?くらいにみていたから。
わたしは、
特に「怒りを外に出さない・人にぶつけない」
ように努めていた。

わたしは幼い頃から、
怒鳴る・大きな声をだす・はしゃぐ大人が
とても苦手。

かくいうわたしの幼少期、
癇癪もちであったのだが。
(何かに拗ねたり、何かしらぷんぷん怒っていた)

成長するにつれ、
自分が苦手なタイプにはなりたくないと、
クールに努めようとしてきた。
また、ピリッとした場面ほど
場を和ませたいので、
そういう場ではおちゃらけるタイプに育つ。

・・・・・・・

「怒りを外に出さない・人にぶつけない」
これは、傍から見ると
一見「いい人」「怒らない人」「優しい人」
に見えたかもしれない。

だけれども、このパターンは決して
「怒らない人」ではなく、
イライラした気持ちをいかに転換するか、
いらいら・焦っているのを外に出さないか、
それを頑張っていただけ。

言い換えると、
怒りをぶつけないのは当然、
逆に人に平気で当たり散らせる人の方が
不思議だったわけで。

・・・・・・

わたしが自分の感情を抑えている事に
気付き出したのは、
カウンセリング・セラピーを学び、
そして自分が受ける立場になってきてからのこと。

「そっか、淋しんやね。」

その一言かけられただけで
泣いてしまったのが始まり。

それだけでなく、
「優しい一言」
「褒めてくれる一言」
それだけで、泣いてしまう。
うれし泣きでなく、
自分がそう思えてないからこそ
泣いてしまうのである。

仕事では、友人の前では、平静を装えていたのに、
いとも簡単に、自分が鎧を着ていた事が
バレてしまうのである。

そのうち、
「お母さん」というワードだけで泣いてしまい、
「さみしい」「むなしい」というワードで
一人さめざめ泣く夜が増え、
「いのち」「いきる」というワードだけも
じんわりしてしまい、
それでもしばらくは、
「こんな事で泣いてしまうわたし、なんて脆いんだろう」
そう思っていた。

・・・

「たいわ」のセッションを受けたある日。

ほんの一言で、早々に泣き出すわたし。
「こんな事ですぐに泣いてしまうわたし、脆いですね。」
それを
「どうして泣いちゃいけないの?」と一言。
・・はぁぁ!!どうしてって聞かれても・・・・!!

そう。
どうして泣いちゃいけないの?
すぐ泣く事が脆い?
脆いと、どうしてだめなの?
そう聞かれたら、実は明確な答えなんで、ないのだ。

どうして?・・・どうしてだろうね。
でも、それがずっとイヤだと思ってた。
したくない事であった。

怒りの感情よりもこわいものがあった。

わたしは、自分の「さみしさ」を
人にバレるのが嫌だった。
自分が「さみしい」というのを認めたくなかった。

そして、それくらいで泣いてしまう自分に
対して悔しいと思っていた。
泣く=弱い、ダメな自分
つまりは、怒るとか泣くとか、
そういう一つ一つの自分の感情、想いに対して、
自分が自分に許していなかった。
はたまたそれが、自分の価値も、
そのままではダメなんだと結びついていたわけで。

そして、怒りという感情も、
できたら感じたくないわけで。
いかにその怒りを転換するか。
つまりは、
その気持ちを抱いた自分を認めていない、
ということに気がつくわけで。

・・・・・

わたしが思う、
「人間ができている人」
「器が大きい人」
「素敵な人」
「頼りになる・安心できる人」

そのあたりを思い返してみるが。

よく考えると、怒る時は怒る。
その時は、けっこう怖いのだ。

なのに、いつもはふんわり、あたたかく、
その人がいるだけでなんか安心。
そして、ちょっとしたことで感動して泣いたり、
かわいいところも見えちゃうのである。

逆に、いつも笑顔を努めている人でも、
その奥の雰囲気と言うか、
「この人 何考えているかわからん」
という人もいる。
そう、たとえ笑顔であっても、
温かみを感じない場合もある。

そういえば、こどもの頃。
演歌なんてちっとも面白くないと
思っていたけれど。
大人になると「演歌の世界」の意味がわかり、
自分と重ねて泣くようになった。(笑)
それだけ、経験がちょっと増えたのだ。
そして、それで泣けてしまう自分も
なかなか悪くないとも思えるように。
(あぁ、人生いろいろまみれたんだなぁ)

・・・
「人の許せないところ」=「自分に許していない事」

惚れた腫れたも経験し、
酸いも甘いもわかるくらい
経験を積んでいくと。
これをとことん経験した人は
どんどん「許せる事」が増えてくる。
だから、多少の事には動じない、
そんなこともあるよ、
と寄り添ってくれるのであろう。
人生経験豊かな人ほど、
自分に対して素直・正直な人ほど、
「感情を感じなくなる」のではなく、
よりシンプルに、繊細に、かつシンプルに、
自分の感情を感じ、そして表現できる。

つまり。

人間として魅力のある人は、

「つらい事・悲しい事を感じなくなっている」
わけではなく、
そういう出来事も
認め受け入れられたからこそ、
そこに囚われる事がなくなった結果のこと。
自分を大切にできると
自然と周りを大切にする事へもつながっていく。

だからそこ、
あらゆる感情を感じる・経験する事は
とても素晴らしいことである、
その感情を感じた自分を大切に。

そして。
その経験の数ほど、
人としてさらにパワフルになる。

・・・・・・

ただ。

「感情を感じたくなくなる」程の
感じたくない感情というものがある。
それほどつらい出来事も、実際にあるわけで。

こんなにつらいなら感じ方がマシ。
感情を消す・抑える・なくす・・・そうしたくなる。

そうするのは、自分を守るため。
感情を消す・抑える・なくすこと、
もしかしたら、それすらも大切な経験の
ひとつなのかもしれないけれど。

つらすぎる時・今は向き合えない時がある。
そんな時は、向き合わなくていい。逃げていい。
自分を守るためには、
逃げる・ごまかす・すり替える・抑える事すら
それも自分にとって必要な時は、
それを選べばいい。

そして。
「消してしまいたい」
「なかったことにしてしまいたい」
そう思ったその人には、
それもひとつの選択である事。

どんな感情であっても、
すべて自分にとって大切なものである、
そう伝えたい。

・・・・

世には 治療と称して、お薬でおさえる方法があり、
心理学的には、
そのごまかす方法・すり替える方法を
「テクニック」として教えているものもある。

それも、
一時的には必要な事もあるかもしれないが、
根底にはもっと大切なことがある事を
忘れてほしくない。
それを踏まえた上で、選択してほしいと思う。

わたし自身、
精神学や心理学的な学びは好きである。
しかしその中の大半に
気持ちの「すりかえ・ごまかし」の
テクニックであったと気付いてしまった。
心のお勉強を、ずっと頭でしていた事を、
たいわを学んで気が付いた。

だからこそ、
そんな小手先のテクニック、
わたしは伝えたえない。

・・・・・・

以前、
たいわ士の師「南山みどり」さんの言葉で、
「自分のために泣けない人は、映画とか(泣けるシーン)使って泣くのよ」
という言葉に激しく同意した、あの頃。

たしかに、自分のために泣く、
というのは、昔はしなかった。
また、日常感動する映画やTVを観ても、
人前なら泣くのをこらえていた。

しかし、いつしか
ちゃんと「自分のために」泣けるようになった。
まだまだこんなことで泣いてしまう、脆いな~
と思う事もあるけれど、
それでいいんである。
わたしにとっては「一番ありえない」事、
自分の親と人前で泣く、というのを、
実は以前、やってしまたのだ(笑)
だから、もうそれ以上怖い事はないのである。
(*‘∀‘)HAHAHA~

◆ 過去関連記事
1/29㈮イベント活動報告:壇上で大号泣した私の理由とその後

http://ameblo.jp/jibunnwoikiru-taiwa/entry-12124078759.html

だからね。

感情を感じてもいい、
表現してもいい、

そう自分に「許す」(赦す)ことから。