自分の人生を生きている「感」がない人。

どんな人もみんな、すでに

 「自分を生きている」
「自分で選択している」

なのに、

「自分の人生を生きている感がない」
「選んでいる感がない」

その答えは

「自分に正直でないから」
「自分に素直でないから」

だから、もうそんなのお腹いっぱい!と思ったら、
答え・やる事は決まっている。

「自分に正直に・素直になる事」

そこに至るためのキーワード

「気付く事」

それだけ。

・・・・・・・・

今回は、
「それも自分で決めているよ」
と言う事を延々語っております。
(*‘∀‘)

・・・・・・・・・・

・「人の評価が気になって・・。なんて言われるか怖くて・・・」

うんうん、そうだね、怖いね。
って、それ、本当?

「あなたはとても素敵ですよ~。」

「素敵じゃないんです。そんなことないんです。」

「・・・・・。」

そう。その「人の評価」すらも、「自分で決めて・選んでいる」という話。

・「自分の気持ちがわからない」

「他人のための選択」を続けて生きてくると、
「自分の気持ち」って、はてなんだったろう?
そんなところで立ちどまる時がくる。

でも、それって本当に自分の答えわかっていないの?

「行動しないと変わらないよ。やってみたらいいんだよ~。」

「ああすればいいよ、こんな情報もあるよ~」

「・・・・・。わからない。(もじもじ)」

「どうしたらいいか。(他に)教えてほしい。」

そうやって、いつもそのアドバイスを実行しない人。

本当にわからないだけ・自分の気持ちがないなら、そのアドバイスも素直に実行できるはず。
しないのはなぜ?

そう、自分の想いがあるから。

(そのアドバイスじゃない、その人からのアドバイスじゃない、アドバイスを求めていない)

それは、「やらない」と「自分で選択」しているだけ。

アドバイスもらっても、「やらない・やりたくない理由」があるから。

 まずはそこに気が付く事から、という話。

・「自分のやりたい事なんてわからない・どうでもいい」

例えば。
わたしが通りがかりに素敵な猫カフェ見つけてしまったとしよう。
(猫好きなんどす!)

しかし、なんだか体調悪い時。

「にゃんこにまみれてワクワク」なんて事、その時は二の次。
今日はやめとこう、そんな事より早く帰って寝たい。
そんなものである。

まず大事なのは生理的な欲求を満たす事・身の安全。

それは過去に習った「マズローの欲求5段階説」参照。
忘れた人はググってみてね。

体調不良が一時的なものであれば、
体調が良くなったら、「よし!今日はもふもふチャ~ンス!」
と訪れる事もできる。

が、しかし。
その疲れが「慢性的」になると。
もう疲れていることすら自覚がなくなる。
その状態が、自分の普通の状態と思い込んでしまう。
そんな「疲れたまんまの日々」が続いたら。
日々をこなすのが精一杯となってしまう。
もう自分の人生とか、そんな事すら考えられない。
そこに気力を使えない。

だけれども、その消耗している状態と自覚がないままだから、
自分に癒し・チャージも必要な事すら気づいていない。
いつまでもそれが続いてしまうのである。
だからこそ!その状態にまずは気付く事から。
大事だからもう一度。
疲弊している事すら気づいていないから、疲弊し続ける日々になっている事と、
人生の大事な選択すらも、「疲弊している時」に決めちゃってませんか?

という話。

・・・・・・・・・

今回の話しのキーワードは、「気付く事。」

何に気付くのかというと、

「自分の素直な気持ち」
「自分のからだ・こころの状態」

体調良くないけど、飲みの約束断れないなぁ、とか
あの人と話すとぐったりするけど、わたしが聴いてあげないといけないし、とか

多かれ少なかれ、ちょっとしんどくても、ムチうって頑張らせる時ってありますよね。

多少の事は、自然とバランスをとっていけるもの。

だがしかし。

長年・ずっとずっとその声を無視し続けるクセがついちゃっている人もいる。

だって、
実は仕事が嫌なんだって気づいちゃったら、仕事行けなくなっちゃうから。
その人の事、嫌いって気づいちゃったら、その後の修羅場がめんどくさいから。
からだ触ったら、ビックリするぐらいガッチガチでも「肩凝ってません」って言い張る人いるでしょ?
それも、今更それに気付いちゃったら、しんどくて無理できなくなっちゃうから。
(いわゆる感覚・感性が麻痺、鈍くなるイメージ)

でも、それ、いつまで続けますか?続けられますか?

だからこそ、まずは「気付く事」から。

言い換えると。

実はそれがつらいのは、実はもうそのサインに気付いちゃっているから。

そこを気付かない「ふり」をし続けて過ごす事もできるけれど、
「このままでいいのか?」とよぎり続けるわけです。

で。さらに言い換えると、
その「その気づかないふり」というのは、
「今は それをしない」という、その時の自分にとっての選択。

そう。「気付く事ができた」なら、
「向き合う」事もできるし、
「今はやらないんだ」と認めて、言い切ってしまう事もできる。

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動きたいのに動けない人、
なんかもやもやするけどわからない、
自分の人生どうでもいい、
まずはそうやって感じている状態を感じる事から。

それがサインであって、
そこにヒントであって、
ちゃんと答えがある。

 言い換えると、
今、そんな「つらい」事を選び続けても、
そして今までやってこれたわけです。
だから、これからも何を選択しても、もう大丈夫なんじゃないの?
(*‘∀‘)

それをこれからは、自分がワクワクしたもの・自分が笑顔になれる方を選ぶことに変えるだけ。
一日の選択って、無意識の事も含めるとすんごい数やってるんでしょ?
(聞いた話が色々違うので、正確には知らないけれど)
朝起きてまず何をするか、二度寝するかとか、歯を磨く?テレビ視る?
腕組む・足組むとか、そんな事すら、全部選んでいるわけで。
よく、「人は現状維持が楽、変わる事に恐れを抱くもの」的な話があるけれど。
(大きく変わると書いて大変と読む)

つまりは、
人生何も変わらない・変えたくないと思っていたって、
結局は「選択の連続」なんだから、すでに同じな訳でない。
何も変わらないって感じていても、
何も変わらないと感じる日々を過ごす選択をし続けているという事なだけ。

今も、そしてこれからも選び続けて生きていくのだから。
その選び方すら、もう選んじゃいませんかね?
(*‘∀‘)

・・・・・・・・・・

たいわ士は「アドバイスはしない」と学びます。

なぜかというと

「答えは、自分で持っている」から。

「自分と向き合う」をとことんやった時、
自分がいかに、「相手が求めていない余計なアドバイス」をしてきたかを気が付かされたのです。
(しかも、「気持ちのすり替え方」をアドバイスしていたわけですよ)

そこでもう一つ気付いた事。

そのアドバイスが、それがいかに必要なもの、間違ったものであっても、
結局は「それを受け取る側」次第。

わたしだって、この人のアドバイス余計、と思ったらスルーしちゃうし、
聴きたいと思ったら必死で聴く。

その人が伝えてくれた解釈と、わたしが受け取る解釈が同じとも限らない。

そう、自分次第。

・・・・・・・・・・

わたしは、

「動きたいけど動けない(感)」
「わからない・決めれない」

それを長らくやってきたわけです。

それは結局

「まだ一つに決めたくない・見極め期間がほしい」

だから、決めなかっただけ。
そう自分が認めて言い切ってしまえば、なんとも潔く生きてこれるものだと、
自分が経験・実感したものを伝えたいから勝手に発信するだけ。

その情報・体験談が響く方は、自ら受け取りに来てくれるので、
その時にぽいっとお渡しできる立ち位置なだけ。

もっと欲しい、と言う方には、いくらでもアツク語れちゃう。
しかし、人に強制的に何かをさせる能力はないし、しないのである。
(それをすることは、コントロールになっちゃうよ、という話)

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おまけのページ。
(`∀´)

自分のからだとこころの声を無視し続けるとどうなるか。

はい、どこかで、色んな形で「強制ストップ」がかかります。

でもね、そうでもないとやめちゃいけないと思い込んでいたから。
わたしは風邪ひいても、熱がでても働き続けたタイプ。
インフルエンザだったら堂々と休めるけど、インフルエンザじゃなかったら、ロキソニン飲んで働き続けてきた。

上の人から「帰りなさい」って言ってもらえない限り、
自分から休みたいという選択はないと思って働き続けてきた。
(仕事休んで、迷惑かけるってことが、とっても嫌だったわけです。)

蕁麻疹になった時、みんな心配してくれたけど、それでも意地でも夜勤し続けたら、
ついに蜂窩織炎みたいにぱんぱんになって歩けなくなったYo!
(普通、蕁麻疹からこんなんなりませんよね)

で、休んでみて初めて気が付くわけです。
「なんだ、休んでよかったんだ。」
「休んでも大丈夫だったし、みんな優しい。」
(*‘∀‘)

これから、そうなる前に自分で選んでいいのだからね、という話。
自分をごまかす・素直になれないという事は、こういう事になります。
という証拠。
(;´∀`)
(これで夜勤やりきったわけです。夜勤明けで気が付いたとたん、もう動けなくなりました)



治った頃の写真。
え、太さ変わらんやん(`∀´)なんて思った人は誰だ(笑)

※※
今回の話は、そこに至る経緯を紐解くと、
生育歴・過去の経験からの深い話・繊細な話になるのです。
なので今回はあえてあっさり終わらせておきます。