「人を癒したい方」へ。一番大切な事。

人を癒したい方へ。

「まずは、ご自身が癒されてください」

結論はこれだけ。

なぜこのお題かというと
「癒す側が癒されていない」

自身とその周りを見てきた経験から感じた事。
「自分がまず癒される事の大切さ」とその理由を語る。

◆説得力

もっちゃり体型の医者から
「健康のためにやせなさい」と指導される、

お肌がくすんでいる美容部員に
「この化粧品はお肌にいいですよ」

仕事のできない先輩からのお説教
「あなたはここができていない」

納得できる?
信頼できる?

そう。
つまり、セラピストさんもね、という話。

◆人にやってあげたい心理

「自分が癒されていない人」ほど
「人を癒したい・人にやってあげたくなる」
そんな心理がある。

その根底にあるものは
承認欲求、自身の存在価値の確認。
そんな話とつながる。

かくいうわたしも
「自分ができていないアドバイス」
「いらぬお節介・求められていないアドバイス
「自分がやりたいだけの施術」

自分ができていないものほど 理論整然と語れるもの。
そんな経験も散々して、人にもされて気付いた事。

◆「癒し」とは

「癒しが必要」というのは、
心身(エネルギー状態)ともに「ニュートラルな状態でない」という事。

ここでいうニュートラルとは、±0の地点。
「癒されたい」というのは、元の状態から消耗している・枯渇している状態。

いつもいつも癒しが必要と感じている万年おつかれ状態。
一旦癒されてもすぐに消耗し、またすぐ「癒し」が必要になる、

そんな人もいるだろう。

そういう場合、大まかに理由を挙げるなら。

①睡眠、休息、食事など、一番基本的な事を大切にできていない。

人のからだは、こころ、思考や行動、すべてリンクするもの。
そこのメンテができていないと
本来持ちあわせている気力体力も回復しきれず、すぐに枯渇状態に陥りやすい。

②自身の心身のキャパを超えた環境下に身を置いている。

いくら自身の気力体力がうまく回復できたとて、
それを超えて消耗する状況下。
その状態が続くと、これまた①の状態ともリンクしやすくなる。

◆癒しを学ぶ目的

「癒しを学ぶ目的」を、大きく2パターンにわけると。
(あくまでわたしの体験のもとに)

① その施術を受けてよかったから。救われたから。
(入院体験から医療者を目指す、カウンセリングに救われたら、マッサージが気持ちよかったからなど)

② その癒しを受けた事はないが、HPや紙面上で選ぶ

「手に職がいるから」
「この資格なら働きやすいだろう」
「家族やペットにやってあげたい」
などなど・・・・
学ぶきっかけそのものは、なんでもよい。
大切なのは、その根底。

特に②のパターン、
こういう場合、その後の行き詰り方にあるあるパターンがある。

◆癒したい人が行き詰るパターンあるある

サロンを出したい、どこのサロンで務めたい、家族にやってあげたい、
はじめからどう活かすか明確な目的がある場合とは違い、

なんとなく人を癒したい、
今の場所が嫌・このままでは何か足りない感、そのためになんとか手に職が必要・・・

そういう学び出しの人の中で、一部行き詰りやすいパターンがある。
「資格を取ったが、さて、この後どうしよう。」

資格を取ったが、その後のビジョンがいまひとつ見えず
動くにも動けないパターンがある。

もちろん、学んだからといってみんなが仕事にするわけでもない。
自分のためだけに、
家族にしたいから、
学んでみたかっただけ、
それが目的の人は、そこで納得・満足するもの。

それで満足はしていない、しかしもじもじしてしまう。
その理由をざっくり挙げるなら
「自信が無い」「覚悟がない」「行動していない」なのだが。

その前に、そもそも学ぼうとした動機、
自分の根底の想いは何か、という話である。

もう少し詳しく述べる。

①「ただ提供したい」が目的の人は「お金を受け取る」事が壁となる。

お仕事としてやるつもりであって、ひとつ足かせになるのは「お金」の事。
よく言う「受け取り下手」さんという言い方もするだろう。

「人にやってあげる事」が自分の価値の証明になっている事がある。

「タダでいいから、練習だから、お友達価格で」
自信も経験もない。だから練習と称し、適正な対価を受け取らない。

経験の浅い人と熟練のプロには差がある。
その面で対価に差をつけるのは通常でもある。

ただ、ここで見つめるところはその根底。
お金を高く取ったら受けてもらえない、認めてもらえない、だから安く・・・。
お金なんかいらない、自分がやりたいだけだから・・・。

そこを突き詰めると
自分が自分をどのように評価しているか、
存在価値、条件付け、
セルフイメージ、
そんな話に繋がるのだ。

「お金」とは、情報、エネルギー。
その使い方・受け取り方・イメージ、そこに自身や人との関係性が反映される。

②自身がそのセラピーによって「癒される」「よくなる」を体験していない

人は、自分が良いと思ったものは自然と伝えたくなるもの。
すごく料理がおいしかったお店があれば言いたくなるし、
お得な買い物したら自慢したい。
すごく癒された・病気が治った・痩せてきれいになった・元気になった、
そういう経験があればうまく説明しようとしなくても自然と語ってしまうもの。

言い換えると、その経験がないと、語れない。

たとえば自分が施術練習にお願いしたい時。
何がどうよいのか、説明に困る事もあるだろう。
また、自身が癒された自覚がないならば
自分の施術で「癒されるよ」と言い切る自信もでてこない。

ネットや資格情報誌など、紙面上で条件を見た上で学ぶ内容やスクールを選ぶ場合も少なくないだろう。
そういう場合、自身が学んでいるスクールの施術ひとつ受けた事がないこともざらにある。

③自身が癒されていない状態(おつかれ状態)。
人を癒したい人、というのは
傾向として、自身を差し置く場合もある。

また、たとえば
個人で開業している人は代わりもいない。
少々の体調不良でも、顧客に迷惑をかけじと仕事はこなすであろう。

癒しを求める人が来る、という事は、
おつかれ状態の人と接する仕事。
時に、その相手の状態に引っ張られる事だってある。
それは自身の立ち位置や意識状態によって左右されるものであるが、
自身のからだやこころに余裕が足りない時は引っ張られやすい。

そんな状態で続けていくと、
心身の状態が枯渇する状況となりやすい。

心身のエネルギーの枯渇状態が続くと。
疲れたら休む、という判断能力すら低下する。
つい、「~~せねば」モードに陥り勝ち。

④動けないループにはまる

スキルは 使わないと磨かれない。
行動・経験ありき。
経験がないと自信なんてつかない。
なのに、自信がないから動けない。

いつの間にかその学んだものはやらなくなり、
また他のスキルを探しに行く。

時にそのループにハマる人もいるだろう。

それは、本来「満たしたい」部分が満たされていないのかもしれない。
もし、やみくもにあれもこれも欲しくなる・ないと不安と感じる場合。
一度立ち止まって、自身の行動の根底をちょっと見つめてみてはいかがだろうか。

◆「自分を大切に」はハードルが高い

自分で自分を大切に。
まずは自分を満たす事から。

実は、そう伝えているセラピストが自分にできていない場合も少なくない。
人にはいくらでも優しくできるのに、自分に厳しい人というのは、とても多い。
「人には言えるんですがね」
「わかっちゃいるんですがね」

人にやってあげたい人ほど、ハードルが高いのだ。

確かに 人は自分の事より他者の事がよくわかり、自分でないからこそ言える言葉もある。
自分自身では見えない自分がある。
だからこそ、その他者を見て伝える言葉は、自分にも還ってくるのである。

◆自分を大切に、自分が癒されるが苦手な方へ

人には優しくできる。大切にしてと言える。
なのに「自分が自分を丁寧に、大切に扱う」ができない!
という方へ。

それならば提案するのはこの方法。

「人から自分を丁寧に扱ってもらう」

是非、そんな機会を持ってほしい。

そこで自身が大切にしてもらう事を思い出せば
「自分が自分を丁寧に」も受け取りやすくなるだろう。

◆自分が癒される、簡単な方法。

「時にはプロの本気の施術を受ける。」

これがなんとも手っ取り早いわけです。
(ここで語るのは、プロの施術を受けた事がないという方向け)

たとえば
治療・セラピー的なものをスクールで学んだ人もいるだろう。
そこではもちろん実技の練習もするので
必然的に施術側・受ける側両方体験しているはず。

その中で様々な方と練習を重ねた中に
「この人上手」「この人からは受けたくないな」など
そんな気づきもあるだろう。
指導する先生の手引きももちろん受けているだろう。
しかし、それはあくまで「練習」の場。

そう、実はそういうスクールの練習で
その施術を受けた・知っている気にはなるのだけど
本当のプロの施術を受けたことがないという人、
意外と少なくもないのだ。

練習の場と、
自身がお店や相手を選んで、お金を支払って、
お客として一からおもてなしを受ける状況。
これは別物なのである。

◆提供する側は、受け取る側の体験も必要

このお客として受ける側の体験も、実は大切。
その一連の流れにもすべて、気付きが隠されているもの。

・数あるセラピーから選ぶ
何を基準に選ぶのか。価格?人柄?場所?
「自分が選んでもらえない」という想いって、がっかりするものだけど、
選ぶ側に立ってみると、違う視点で見えてくるものがある。

・対価を支払う側
対価とはなんぞ、という点でもとても大切。
自分が代金を支払っても受けたいのかどうか?
自分がお代を支払ってでも受けたい人が、お金を受け取ってくれないとどんな気持ち?
自分の感じる価値とお金の関係。自分の大切にする価値とは?

・やってあげたい人のやりたい事と、お客側のやってほしいことの違い
とくに受け取り下手さん・やってあげたい方へ。

やってあげたい人は、やってあげる事で満たされる。
でもね。
それは一方方向では成り立たない。
もちろん、人というのは、与えたと同時に受け取っているもの。循環。
人が喜んでくれた、お役に立てたという事で自身に喜び・癒し・生きがいを得る。

しかし。

本来は相手が喜んでもらう事が目的のはずは「やってあげた感」を求めてしまう事がある。
せっかくの想いも、方向がズレると「押しつけ」になってしまう。

だからこそ、自身が「受け取り側」でもある事を体感してほしい。
それを知ることで、より受け取ってもらいやすい配慮や工夫に磨きをかける事もできるだろう。

たとえば 人にプレゼントを贈る際、
自分があげたいものを贈るか、
受け取ってくれる側が欲しがっているものを贈るか、その違いでもイメージできるだろう。
(どっちがいいわるいではなく、両方の要素も含む)

◆プロのおもてなしを受けた体験談

ここでは わたしがプロの施術・おもてなしを受けて体感した事例を挙げる。

①初めて人から「足湯」をしてもらう
「足湯」
看護師としては当たり前のようにやってきた側。
なんと、人から足を洗われる事が、こんなにこっぱずかしいとは・・・!!
しかも、それは自分でできる事を、わざわざ人からやってもらう。
これまた異性ならなおさら。嬉し恥ずかし、申し訳なさも感じる。
自身がやる側だけだと全く気付かなかった気持ち。

②おもてなし
カウンセリングに行って、お茶とお菓子とおしぼりを出してくれる方もいるのだ。
これは自宅サロンの方に多い。
それだけの事でも、おもてなしを受けた感は半端ない。
また、毎回お菓子が変わると、次も行くのが楽しみ~。みたいな。
自分の家では通常おしぼりなんて使わなかったのだけど、
人からされて嬉しかったので、おしぼり出すのとか真似するようになった。

③人からタオルケットをかけてもらう
人から丁寧に優しく、タオルケットかけてもらう。
それだけなのに、なんでこんなに嬉しいんだろう。
なんか子供の時を思い出す!わ~いわ~い。みたいな。

④人の人生の大きなきっかけ・転機となりうる
わたしは、カウンセリング・セラピーの中で、言葉ひとつ、本質を突かれた一言で泣いてしまう事があった。
それがそもそも、自身の生きづらさや満たされてない感に気付きくきっかけ。

言い換えると
学びの目的は自身の事を癒す目的でなく
「人にやってあげたい」それが先行だったわけだ。

結局は何をするにも「自分と向き合う」に行き着く。
⑤セラピストとして・人としての在り方

言葉とは。それ一つで救われもするし、追い詰められもする。

だから、言葉とはとても大切。
そして、言葉以外の大切なもの。

セラピーが必要な状態というのは
それだけ心の奥底に繊細なものを秘めた状態でもある。

なので、より人の言葉や態度には敏感なのである。
その人の在り方がダイレクトに伝わるもの。

◆プロのおもてなしを受けてから自分を振り返ると・・・

自分が「受ける側」を体験すると
自然と自分の行動を振り返る。

・患者さんのお布団ひとつ、こんなに丁寧にかけてあげれてたっけ?
(急いでいる時は「はぎ取っている」時もあったなぁ・・・)


・体位変換、「痛い」と言う人にはそっとするけど、
そうでない人は意識していなかったかも。


・自分が他の人に触れる時、どんな感じて触れていたんだろう。


・常日頃、自分が自分の体を触るのにこんなに丁寧にしてないな。


・こういうおもてなしされると嬉しいもんだ、次は自分もやりたい。

などなど。

そして、
「あの人は丁寧に触ってくれるから、次もあの人がいいな」
「あの人は雑だから嫌だな」

つまりは
丁寧に扱ってもらう事って、やっぱり嬉しいんだな
と思い出す。

人から受ける自分への扱い、
自分が人に対しての扱い、
自分が自分に対しての扱い、

そこに気が付くようになってくると。
もちろんツールやスキルも大切だけれども、
それを使う側の在り方についても感じ、考えるようになるもの。

◆大事なので、もう一度繰り返す話



人にしてあげたい、「しかし自分は受け取らない」場合の話。

自身が受け取り拒否しながら相手に与えたい時。
相手がいらないものを押しつけになっている事に気付かないもの。

本来、自分の提供したいものと、相手のニースが合致して初めてサービスとして成り立つ。

しかし、「してあげる事」が自分の喜び・存在価値としてすり替わっている場合、
自分が提供したサービスを受け取ってもらえないと、喜んでもらえないと、
自分の「存在意義そのものを否定された」と感じてしまう事がある。
(自分がしてあげたいのに受け取ってもらえない、喜んでもらえない→悲しくなる、淋しくなる、怒りがわく、など)

たとえばね。
もうお腹いっぱいっていうのに、どんどん追加で食べ物出してくれる親みたいなもの。(笑)
自分は食べないのに、どんどん料理出してくれる。
ありがたいけど食べれないしー・・・
で。出す方は自分はさほど食べない(もしくはちゃっかり自分のペースで食べている)ので、相手がお腹いっぱいという事に気付かない。
実家に帰った時にそうなる人も多いのでは?(笑)
(もちろん、これは愛あるゆえ。これも笑える範囲とそうでない範囲もあるでしょうが)

またね。
「ありがとう」「受けてよかった」「気持ちいい!」
そう分かりやすく反応してくれたら、もちろん嬉しい。

ただ、施術を受ける側とて
受け取り下手さんもいれば、単に表現しない人だっている。

もし、受け手側が
「こんなの人からやってもらって申し訳ない」
という人であれば、その気持ちをどう汲み取るか?
自身がその想いの抱いた事のある人は、今度はそれを活かす事ができる。

だからこそ。
「癒しを提供する側」は

「受け取る事・癒される事」を大切にしてほしい。

◆人の言葉・態度は現場によってピンキリ

ちょっと病院の話。
医療・病院とておもてなし・接遇についてはちゃんと研修を受けている。

しかし。特に急性期の医療現場は
「プライバシー」「触れ方・接し方」「言葉遣い」

これがどうしてもぞんざいになりやすいところ。

もちろん場所や個人の在り方にもよるので一概には言えないけれど
全体的な余裕のあるなしが大いに影響すると考える。

どれだけ接遇の大切さを学んだとて
それを発揮できるのは、自身が心身健康であり、
また環境的にもある程度の余裕も必要。

癒し業界・医療業界、共に人を癒す側が疲弊している部分も見ている。
そこには単に業務内での教育指導だけではなく、
心身の健康、個人の人生観・人としての在り方の話が必要だと感じてきた。


◆態度・言葉ひとつ、個人の在り方が反映

たとえばエステでは
お肌の露出にとっても気を配ってくれる。
タオルワーク一つ、お着換えの場ひとつ。

しかし、所変わればぞんざいな扱いと感じるところもある。

それを受ける側は察するだろう。
それが単に知識技術として不足なのか、
人に接するその人の在り方そのものなのか。

◆看護師さん・介護士さんへ。

ここではちょっと看護師・介護士さんへ。
個人や家族の入院治療経験した事のある人は、その経験を仕事に活かす事もできる。
しかし、それとて患者さんと同じ検査や治療をすべて体験している人はいないだろう。
しかし、なにもすべて同じ経験をしていなくても いい。

ただね。
ここで大切なのは個人の感覚・価値観、在り方。
衣食住・安全・衛生面等、
人として根本的な部分に直接関わるお仕事。
自分の感覚と他人の感覚の違いが顕著に見えるところでもある。

病院の経験以外でも
マッサージ・エステや美容室、はたまた飲食店やお買い物など、
お客としての体験は、すべて仕事にフィードバックできる。

髪を触ってもらう・洗ってもらう感覚、
お釣りを渡してもらう時の触れ方、
タオルケット一枚かけてもらう感覚、
自分ができる事をやってもらう時、
自分ができない事をやってもらう時、
身内や友達ではない他人という距離感、
自分より年下からの葉遣いや態度、
職業人としての言葉遣いや態度、

などなど。あげたらキリがないけれど

日常生活援助の提供、
プライバシーの保護、
接する態度・言葉のやりとりなど
たくさんヒントが転っている。

たとえ患者体験がなくとも、
どんな場面からでもすべて学びにつなげる事ができる。

◆受け取り下手さんに

さて。ここで話を本筋に戻す。

受け取る事、人から大切にされる事が苦手だな」
そう気付いた方、
それは「繊細な癒し・サービスを提供できる」チャンス。
受け取るのが苦手だからこそ
押しつけられたくない気持ちがわかるはず。
つまり、苦手だと感じていたものは強みとして活かす事ができる。

「自分が自分に丁寧に・大切にする事」

それが苦手な人に対して
自身の経験をもって伝える事ができるから。

◆癒される事=自己研鑽でもある

もし、それでもまだ!

セラピーを受ける事に引け目・遠慮を感じる」
「自分ばかり申し訳ないという罪悪感がある」
「自分のためにお金を出して癒されるという概念がない方」

提供したい側なのであれば 顧客ニーズの把握はお仕事にとっても大切。

提供するものが押しつけになっていないか?
自分が受ける側になって初めて見えてくるものがある。
そして。
自分が最大限のパフォーマンスを発揮できるためには
心身のメンテナンスは必要。

 

そう。自分が癒される事こそが
すべて体験であり、自己研鑽でもあるわけだ。

自身のこころとからだのつながり、
それによっていかにパフォーマンスに影響があるかもわかるようになるはず。
かつ、からだとこころのつがなりが、在り方、生き方としてリンクする事も気付くはず。



自分自身の価値を認めてこそ、
人の価値を認めて、さらに引き出していく立つ事ができる。

◆さいごに

スタイルがいい人、お肌きれいな人には、
「どうしてそんなにきれいなんですか?」
思わず聞いちゃうでしょ?

やたら癒しを感じる人には
「なんでそんなに癒し系なんですか?」
なんてつい言っちゃう。

そう、自然と人は寄ってくる。

で。
癒しを感じる人」
「素敵だと感じる人

「かわいく見える人」
見た目がどうとか、
スタイルがいいとよくないとか、
年齢がどうとか、
条件があるようでないようなもの。

なんか知らんけど素敵。癒される。安心する。
見た目が好み。話し方が好み。雰囲気が好き。
そこにいてくれるだけでいいな、という感覚。
話しただけで、会っただけで元気がもらえる存在。

そういう魅力を放つ人は
自身をすり減らして与えるやり方ではない。
自身がから溢れ出る部分をおすそ分けできる人。
与えっぱなし、奪うのではなく、与えて受け取れる人。

そして。
なにもセラピストは100%常に満たされまくっている人というわけでもない。
セラピストの前に「人」である。
疲れもするしやさぐれたりもする。
だからこそ。
人を認める事ができる。
人を癒す事・癒される事の素晴らしさを感じる事ができ、
それを伝える事ができるプロなのである。

「癒してあげたい人」は
「まずは自分が癒す事」を大切に。
という話。

セラピストの前に、「人」であれ。

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